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まりんこの自己紹介

こんにちは、まりんこです。

ここでは、今の私を作り上げてくれた人生の足跡
現在の私についてお話して行きます。
普段のポジティブな私からは想像が付かないようなネガティブな話も
含まれており、長い自己紹介ですがお付き合いいただけたらと思います^^

◆ 私は何者なのか?

・まりんこ(@marincoblog3
 2020年4月現在41歳
・3月3日生まれのうお座B型
・生まれも育ちも福井
・子供は3人(20歳・18歳・5歳)
・バツ1再婚の家族
・コンビニパートとアクセサリー作家兼ブロガー
・Twitterにお花をまき散らしながら出没中
・テーマは「やりたい事は全部やる!」
 「お母さんの挑戦!」
・子供が自慢できる親になるのが目標
・保有資格 /
ビーズアクセサリーインストラクター
ビーズアクセサリーデザイナー
カフェスペシャリスト1級
調理師、コーヒーコーディネーター
普通自動車免許

こんなことを言っていますが、
基本は中身も見た目もどこにでもいる
普通のお母さんです。ただ、
人よりちょっと好奇心が旺盛のようで^^;
結論、まだ何者でもないのです。

◆ 子供時代

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3人兄弟の長女として生まれた私。
1歳半で弟が生まれ、
3歳差で生まれた末っ子も弟
「お姉ちゃんなんやで我慢しね!」となにかと
寂しい思いをしていたからか
弟の事が嫌いでした。近所を歩くときに弟の手を引き元気よく挨拶をすると大人が褒めてくれることを知っている保育園児でした。もちろん近所の人が見えなくなると弟の手を振りほど知らん顔。今思えば怖い子供です。

このまま、
ネガティブ思考な子供時代を進みます。

小学校では、
「家には販売中のゲームが全部ある」など、
なんかスゴイことを言えば同級生が
「スゴーイ!」って言ってくれるのが
嬉しくてウソに嘘を重ねて
自分の首を絞めていたと思うし
もちろん同級生にはバレて本当の友達はいなかった。
家でかまってもらえないから、
外でかまってもらえる=スゴイ嘘という
悪循環を自分で作ってしまい、
親にもバレて更に最悪に…という
今思えば自業自得なんですがね、
当時の私にはそれしかなかったんかな

何かを頑張っても親が褒めてくれるという
記憶がないし
お母さんもお父さんもいつも仕事が忙しくて
祖母と弟と過ごす日々
せっかくの土日は両親が2人で買い物に出掛けてしまう。
唯一、夏休みに行く家族旅行は知らない土地に
行く楽しみがあり
地図を見ながら車で旅行するのが好きでした。

兼業農家だった為、春は田植え・秋は稲刈りと
手伝いをするのが当たり前
褒めてもらいたくて一生懸命手伝っても、それは当たり前として受け止められていることが
腑に落ちませんでした。
何かやりたい事があっても、「子供のくせに」「否定」からされて認めてもらうという経験を
家族で得たことはない「愛されてない」
子供ながらに感じていた私は
いつしか親が大嫌いでした。

中学校に入り部活でソフトテニスに出会い没頭
友達も出来て楽しい学校生活でした、
思い出は部活しかありません。
テニスの練習は好きだけど筋トレやランニングが嫌いで雪でコートが使えない冬は逃げ出すことしか考えていませんでした。

高校に入り2年後、性格が一気に荒れました。
友達グループで仲間はずれが始まり、仲間外れにされていた子と私は友達でいたくて普通に話をしたら、次の日から私が仲間外れに…(笑)
何をしても影で色々言われるし、コソコソ笑われたり本当にクソみたいに大嫌いな時間でした。
そのタイミングで2年付き合っていた
年上の彼氏の心変わりでお別れがあり
私はいつもイライラしていたし、
子供の小さい狭すぎる世界で起きている
つらい現実を受け止められずに
先生に暴言を吐いたり、家で暴れたり、
死にたくなったり…
この、すさまじい時間を救ってくれたのは
両親でした。

「お母さんは何があっても、あんたの味方やで泣かんとき!」

「お父さんはおまえといくらでも代わってあげたいけど自分の人生から逃げたら、まりちゃんがダメになってまうで頑張って欲しい。」

もっと早く知りたかった親の愛。
でも、その言葉は確実に私を変えてくれました。
「自分には必要としてくれる親がいて、
味方になってくれる親がいる」

高校生とはいえ、子供の私に一番欲しかったものでした。

◆ 人生を真剣に考えるきっかけ

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私が19歳の時、18歳の上の弟が交通事故で無くなりました。
ひき逃げでした。

(ここで犯人に恨みを言うつもりはありませんが
せめて救急車をすぐに呼んでくれていたら、冷たいコンクリートの上で
1時間も一人で苦しんでいた弟を思うと本当に許せません。)

あまりにも突然の別れでした。
弟は初めての彼女が出来たばかりでとても喜んでいた時期でした。
エヴァンゲリオンが好きで声優になるという夢を追っていました。
「声優=オタク」と私がからかっても怒りながら一生懸命アニメのすばらしさや自分の夢、やりたい事を語る事ができる子でした。
18歳でこの世を去り、さぞかし無念だっただろうなと思います。
お通夜・葬儀中、火葬場、記憶がほとんどありません。
覚えてるのは母が火葬のボタンを押す父をみて泣き崩れている姿だけ



人の命は儚いです。
でも、たとえ死んでも「思い」は残すことが出来る。

それまで遊んでばかりの私、将来の夢なんて
「好きな人のお嫁さん♪」
ぐらいしかなかったけど、
弟の死をきっかけに家族の大切さ
人生や夢を持つことに真剣に向き合うようになりました。
(この自己紹介noteを公開した今日4月12日は弟の命日です。)

◆ 結婚/子育て/親友/ビーズアクセサリーとの出会い

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20歳で結婚、21歳で長女を出産、23歳で長男を出産。

慣れない育児と旦那両親との同居生活にストレスが溜まる日々…。
そんな時に地域の福祉センターで毎週水曜日
「子育てサークル」という
育児中のママが自由に集まって交流を深める会に参加しました。
そこで、ビーズアクセサリーに出会いました。
当時、「アクセサリーは買う物」というのが
当たり前だった時代
アクセサリーって自分で作れるんだ!と感激したのを今でも覚えています。

ビーズアクセサリーとの出会いをくれたのは
ママ友です。(唯一の親友)
彼女がビーズアクセサリーのアトリエを開く時に、私はアシスタントとして
一緒に活動しながらたくさんの事を学ばせてもらいました。

・ビーズアクセサリー作りの基礎知識
・原価計算と売値の付け方
・委託販売先の見つけ方
・委託先との付き合い方
・インターネットショップの作り方
・写真の撮影方法
・顧客に送るアトリエ新聞の作り方
・オーダーメイドや修理・リメイクについて

学んだことは、本当にたくさん!
彼女は私に教えながら自分も学ぶ姿勢を忘れない素敵な女性。

夢に向かって突き進む、パワーの使い所や思考
親友である彼女に教えてもらったことの大切な部分です。

2人で子育ても、アクセサリー作りも毎日試行錯誤して突き進みました。
活動した3年間は私が人として一番成長した期間といえます。

◆ シングルマザー時代

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結婚して8年が経ったころ、離婚をしました。
実家には迷惑をかけたくなかったので長男と長女を連れて3人暮らし。
今でもハッキリと覚えているのは、離婚が決まった時に
長女は無理して作り笑顔で笑っていて、長男は心底悲しそうに泣いたこと
子供をこんな気持ちにさせた事を悔やみましたが
「絶対私が幸せにする!」と誓った日でもあります。

そう誓ったのに、実際は無理や我慢を沢山させていたんだと思います。
育てるにはお金が必要です。借金もしました。
(離婚2年目から養育費を減らされ5年後には全く無くなりました。)

最初はカフェで働いていましたが(資格はこの時に取得)
どんなにがんばっても収入はMAX16万円ほど…
さらに収入の良かったパチンコ店で働き出し生活は潤いましたが
勤務時間、拘束時間が長く深夜に帰る事も
お金の代わりに失ったのは子供達との時間でした。

そう、子供達との時間
かけがえのない時間です。

母に子供達をお願いする日も多く
何度も寝顔に「ただいま、ごめんね」を言いました。
親の都合でさみしい思いをたくさんさせてしまった後悔しかありませんが
時間は戻っては来ません。
過去を悔やんでも仕方のなかったことです。
その時はそうすることでしか子供を守れませんでした。

私なりに一生懸命前を向いて頑張った時期ですが、
この頃の話を長女に聞くと「ママのことが大嫌いだった」と言われました。
私の子供時代と同じように、子供達にも寂しい思いをさせていたんだなと…
子供と過ごす時間について改めて考えさせられました。

◆ 再婚・次男出産・アクセサリー作りを再開

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シングルマザーとして8年が過ぎたころ、
職場の同僚だった、現在の旦那さんと再婚しました。

旦那さんは6歳年下の天然男ですが、再婚を決めたきっかけは、私以上に子供達のことをよく見ていると気付いたから
いつも「大丈夫!まかせて」といっていた長女の寂しい気持ちに気付いて家に居てあげなアカンと教えてくれたり。
思春期の息子の、本当はママの心配をしている「心の優しさ」を私に教えてくれたりと、仕事に家事にバタくそしていた私が気づけない子供達の気持ちを、そっと教えてくれた人

自分からガンガン子供達に話しかけたりは決してしない人ですが、知らない間に一緒に過ごして違和感を感じなくなっていました。
いて当たり前、良い意味で「空気みたいな存在」と長女は言っています。

結婚記念日、私の誕生日を忘れたりと
物忘れが激しい人ですが、家事育児も協力的で実家の農業も手伝ってくれる神旦那だと思っています。いつも感謝をしています。
(本日4月12日は弟の命日でもあり、結婚記念日でもあります)

再婚して次男を出産した時に決意しました。
子供たちに「おかえり!」が言える仕事に就こうと!3年前にアクセサリー作りを再開
(パートは14時まで)
翌年に在宅でも出来る収入源の確保の為、
ハンドメイドの販売を再開、ブログをはじめました。
しかし、思いとは反対に全然売れませんでした。
ショップへのアクセス数も一桁、
酷いときはアクセス0件なんて日も連日ありました。
最初の1個目が売れるまで心が折れる日が続いたのですが(やめようと何度も思いました)
1年を過ぎた頃から少しずつですがお客様の目にとまり売れるようになり現在も人気作家さん達には、まだまだ及びませんが
私のアクセサリーを手に取って下さるお客様のことを考えながら日々製作活動をしています。

さてさて、アクセサリー作家として
その1年の間に私が行ったことは何でしょうか。。。
答えは私のブログにあります。
(興味のある方はコチラから↓↓↓)

ブログリンク用marincoblog

◆ やりたい事は全部やる人=まりんこ

ちなみに、最初に立ち上げたブログはWordpressの難しさや知らないカタカナ言葉に翻弄されて、速攻リタイヤしましたが
そのリタイヤから1年が過ぎた頃、ブログに向き合う決心をしました!

・分からないことは全部ググって調べ
 ノートにまとめる
・とりあえずやってみる

この2つを実践継続していくうちに、
点と点がつながる感覚があり
わからなかったことが「わかる!」になる快感を覚えました。
ブログ5記事でアドセンス申請が通り震えて喜んだり(笑)
そうなると、色んなことに興味が湧いてきて
お母さんになってもいくつになっても挑戦することの楽しさを知りました。
Twitterを始めたのもちょうどこの頃でした。

「やりたい事は全部やる!」この挑戦は、まだ始まったばかりですが
きっかけをくれたのは、Twitterなんです。
私の世界を広げてくれたTwitterと
いつも応援してくれるフォロワーさんに感謝をしています。

近い将来に
「やりたいことは全部やる!」=「まりんこ」
と言ってもらえるよう、これからも頑張っていきます。

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さいごに
今なら、親が仕事で忙しくていっぱいいっぱいだった気持ちも
せめてもの思い出にと夏休みの旅行に連れていってくれていた気持ちも
弟達が可愛いママの気持ちもわかる。

私の長男が18歳になり亡くなった弟と同じ年になったとき今この子がこの世からいなくなったとしたら…と考えると18歳の息子を事故で突然亡くしてしまった両親の気持ちは痛過ぎるぐらいよくわかる。

自分か大人になり見えてくるもの、亡くなった弟の「思い」をぜんぶまとめて、
わたしは私の人生を精一杯生きたいと思います。

「子供たちが自慢できる親」を目指して
私が常に意識していること!

1.家族との時間を大切に過ごすこと
2.お母さんの挑戦し、頑張る姿を見せる
3.笑顔を絶やさず、ポジティブ思考でいる
.在宅で働きアクセサリーとブログだけでお金を稼げるようになること!
(2020年現在の目標金額20万円)


子供達に
「うちのママ凄い!と言ってもらえるよう」
オカンはこれからも突き進んでいきます!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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