好きなモノから学ぶ「働く」の目的
私は好きなモノ(器や暮らしの道具)が欲しいと思ったときに
一般に出回っているもの、大量生産品よりも少し良いものが欲しいと考える。
それは大切にものを扱う日常に憧れがあるから。
なぜそうなのか、と自分の中で問を立ててみた。
民藝運動を行った柳宗悦氏を父に持つインダストリアルデザイナー柳宗理氏は、デザインに対してこう考えていたそうだ。
初めから作ろうと思っていたデザインは、時間をかけて作られる中で出来上がりは全然違うものとなっていく。(かの有名な)バタフライスツールは塩化ビニールの板を使って椅子を作るとはなんとも思わないで曲げたりしていた。それが椅子になっていった。
柳氏は図面は書かず模型材料にいきなり手をつける手法を取られている。
柳氏の言うように
ロングライフデザインのモノは一つの作品に1〜2年、時間をかけて一つの作品を作り上げていく生産過程がある。
それは絵で描いたものは分かりやすいけれども、作ってみたり、使ってみたりして人々の協力を仰ぎながら出来上がる歴史がある。
デザインは絵に書いて美しいものが全てではなく
触ってみた感触であったり使ってみて得られる機能美など、一つでは言い表せられない価値がたくさんある。
そんな作り手の思いが込められたモノは、本当に長く時間が経っても美しい。
どんな仕事にも通ずる姿勢
これは、今私が仕事で行っているクライアントの課題解決にも言えることじゃないか。良い作品を生み出すことに結果を費やすことではなく、沢山の人を巻き込んで人々が幸せになることを目的とする、仕事のあり方。
それをこの問いを通して気付けた。
まさに見たもの全てが正解ではなく、作り上げていく過程、最初に描いたものから試行錯誤して、正解に導き出していく、そこに価値がある。
時間をかけて作られたもの、そこには本気の情熱がありベストを尽くされたそのモノに関わる人々の思いが込められている。
終わりに
柳宗理氏が監修している日本民藝館にも行ってみた。
江戸時代に作られた陶器は、無骨でがっしりとした印象を受けた。こんなにも時間が経っているのに、美しさは衰えない。こんなにも素晴らしい民芸品が日本にたくさん残っている。産業革命以降、生産性を求め作り手の作業は分業制になり一貫してのものの生産が行われなくなった背景もある。
長く愛されるものには、それ相応の価値があることを知った私は
モノを愛でて大切にしていく日々を送っていきたい。