君とぶっつけの恋をする/2.出し合う弱み

昨日はよく眠れなくて、
寝坊の結果いつもの電車に乗れないのが悪かった。

まさかこんなに混むなんて。
電車に乗る時間を、
いつもより2本分ずらしただけで、
人の多さはこんなに変わるのかと

四方を人に圧迫されながらため息が漏れる。

「え、なんで今日こんな混んでんの?」
「今日金曜日っしょ」
「あーー! 瑞稀くんね」

瑞稀、
という名前を耳が拾って一瞬息が止まった。
昨日のことを思い出して、
脈が速くなる。
そんなこと知らない女子達は、
私の後ろで話を続ける。

「次の駅で乗ってくるかもだもんね、
金曜日は」

「他校の女子がさ、
それ知って時間合わせてっから」

「それでこの激混み、ヤバくない? 
しかも乗ってくるか来ないか
分かんないだよ!? 
瑞綺ヤバ」

「人気がエグいよね。
でもさー、見たくない?」

「分かる。だって同じ学校なのに
あんまり遭遇しないもんね」

「仕事がとかで別日とか
オンラインが多いんだって」

「なるほどね〜」

そうなんだ。仕事ってモデルの仕事か。
学校でも、
いろんな人が瑞綺瑞綺って騒いでいるから
有名な人だとは思っていたけど、
こんな、電車を女子で満員にするほど
凄い人だったとは。

確かに、目の前にしたあの人の美しさには
圧倒された。
改めて、凄い人と話してしまったんだな。

というか、あの人大丈夫なんだろうか。
女子が苦手とか言ってたけど、
この車両、女子だらけなんだけど。

ぎゅうぎゅうの電車の中
昨日の彼の言葉が思い出されて、
心配な気持ちが湧いてソワソワする。
別に私が気にすることでもないのに。

瑞綺くんは、いつ乗ってくるんだろう。
ちょうど電車が駅に止まって
ドアが空いたのでそちらを見ると、

人混みの中頭ひとつ飛び抜けた背の高い男子が
頭をぶつけないように少し屈んで
車両に入るのが見えた。

瑞綺くんだ。

途端に女子達の空気がピンと張って、
みんな小声で口々に
瑞綺だ、かっこよ〜、今日も麗しい、素敵〜
とか言って
こだまするみたいにザワザワと色めき立つ。

車両の中は充分混んでるのに、
何故か瑞綺くんの周りだけ少し空間ができている。
オーラに圧倒されて近づけない女子達の
緊張した気持ちを形にしたみたいだと思った。

周りをぐるりと女子達に囲まれて、
ひっそりと大注目を受けて、
たけど瑞綺くんは全然平気そうだった。

整った顔を少しも崩さず、
長いまつ毛を下ろして無表情に外を見つめている。

大丈夫……そうだな?

私の心配なんて杞憂だったんだろうなって
安心した時、

ふいに目線をこちらに向けた瑞綺くんと
目が合った。

心臓が飛び跳ねたみたいにドクンとなって、
また彼の視線から逃れられなくなる。

顔が火照って熱くなっていくのが分かる。

早く目線を逸らさなきゃ。
抗えない状況に焦りが生まれる。
瞬きを繰り返して、
やっとのことで顔ごと向きをかえて
視線を外すことができた。

逃げたみたいに顔を背けたから
すごく感じが悪かったかもしれない。

だけどあの目と目が合うと、
緊張で燃えて弾けてしまいそうな
どうすればいいか分からない気持ちになる。
あの美しさ、すごく苦手だ。

爆ぜた気持ちを整えようと
自分の身体に視線を移した時、
今起きた事とは全く逆の
不快な違和感に気づいて、
思考と感情が急速に凍っていった。

自分の身に起きた事態が信じられない。
信じたくなくて、恐ろしい。
動かなきゃいけないのに、身体が動かない。
さっきまでの抗えなさとは全く違う。

怖い。
怖くて気持ちが悪くて声が出ない。

どうしよう、どうしようどうしようどうしよう
怖い。
誰か助けて……!
そんなことしたってどうにもならないのに、
そうする事しかできなくて
ギュッと目を閉じて身体に力を入れた。

「ひゃっ」

突然右腕を引っ張られて、私はよろめいてしまった。
倒れそうな身体を
大きな腕が優しく受け止める。
そのまま私は腕を引かれ、
電車のドアの前まで連れてこられた。

見上げると、瑞稀くんがいた。

「大丈夫?」

チラリとこちらを見て、ぶっきら棒な言い方で
瑞稀くんが聞く。
声が出なくて、首を縦に何度か振って答えた。

ドアにもたれ掛かる私を囲うように、
彼が両手をドアに突いて向き合っている。

その距離の近さと、さっきまでの出来事と、
もう何が何だか分からないくらい
心臓が騒がしくて、手に汗がじっとりと滲む。

周りを囲む女子達も、
その事態にざわざわと動揺していた。

「次ドアが開いたら、降りよう」

そう言われたので、必死にまた首を縦に振った。

次の駅がどこなのか、なんで降りるのか、
どういうつもりなのか、
すっかり思考停止してしまって
電車が停まりドアが開いた瞬間、
何も考えずに電車を飛び降りた。

ドアが閉まって振り返ると、
当然のように瑞綺くんが立っていた。
背後の車窓に見えた驚いている女子達が
揺られながら遠のいていく。

「座ったら?」

瑞綺くんに促されて、
私はドキドキを抱えたまま
ホームのベンチに腰を下ろした。

蝉の声が響く人のまばらなホームに、
涼しさを含んだ風が吹く。

その風を感じながら息を吸って、吐いて、
空を仰ぐ。
ずっと忙しなかった気持ちが
少し落ち着いてきた。

雲ひとつない空。
だけど、日差しが柔らかい。
夏の終わりと、秋の近づく気配を感じた。

学校、どうしよう。遅刻かな。

落ち着いたからなのか、
途端に現実的なことが浮かんで
考えていると、

「これ、飲む?」

声のする方を向くと
ペットボトルを持った
瑞綺くんが立っていた。

「ミルクティーと、緑茶?」

「うん」

「ミルクティー、好きなんですか?」

「まぁ」

「じゃあ、緑茶いただきます。
ありがとうございます」

「ミルクティー、飲みたかった?
やっぱり2個ともミルクティーに
すれば良かったかな?
てか、最初に聞けば良かったね。
俺こーいうのいつも後から気付くんだよなぁ」

どの飲み物を買うかで
真剣に悩んでいる瑞綺くんが、
美しくシャープな見た目とチグハグな気がして、
なんだか可愛らしい。

「なんで笑ってんの?」

「あはは。
いや、なんでもないです。
私はすごい緑茶好きなんで大丈夫ですよ」

「そっか」

同じベンチに、距離を空けて瑞綺くんが座った。
ペットボトルを開けて
ミルクティーと緑茶をそれぞれ飲んだ。

「大丈夫だった? 電車……」

「あー……はい。
というか、助けてくれてありがとうございます。
動けなかったので、助かりました」

「誰がやってるのか、とかまで、
分かんなくて。
なんとなく表情で、
ヤバいのかなと思って動いた」

「そうだったんですね。
私も、されてるのかどうか、
半信半疑なんです。
カメラが……怪しい感じがして。
でも実際はわかんなくて。
怖くて……」

「そっか。
怖いよね。
俺後で駅員の人に言うだけ言うわ」

「あ、私も行きます」

「大丈夫?」

「はい。本当だったら他の子も危ないし、
ちゃんと報告しないとですもんね」

「ん。
なんか辛くなったら、言ってね」

「はい」

「本当の本当に、大丈夫?
今も、気分とか悪くない?」

「はい。もう大丈夫です」

「なら、良かった。本当。
はー……」

突然瑞綺くんが身体を曲げて、
ベンチの背もたれに突っ伏して、顔を隠した。

「どうしたんですか?」

「いや……、緊張したー。

だってなんか電車の中女子ばっかだし。
見られてる感じするし。

そしたら成瀬さん見つけて。
でもすごい嫌そうに目、逸らされるし、
ちょっとショック受けて。

そのあと助けなきゃってなったけど、
もし俺の検討違いだったらどうしようとか

なんか色々考えてすぎて、緊張した……!」

「それは、おつかれさまです……」

「いや、別にそれは。
勘違いじゃなくて、助けられたなら、
良かったって思ってるんだけど。

あ、けど、いきなり腕とか掴んでごめんね。
嫌だったよね?
俺もテンパっててさ、
もっとスマートにできたら良かったんだけど……」

なんだろうこの人は。

彼のしている振る舞いと、
彼の考えてることとの乖離がすごくて、
聞いていて驚く。

そしてなんだか、拍子抜けして安心する。
美しいけれど、緊張も戸惑いも悩みもする、
彼も普通の人間なのだと。

瑞綺くんが話すたびに、
緊張した心が溶けて和んでいく。

「ねぇ、なんで笑ってるの?
さっきも笑ってたよね?」

「あはは、ごめんなさい。
笑っちゃいました」

「なんか、変なこと言った?
俺やっぱり変?
ガッカリ?」

「あはははははは」

「ちょっと……!」

瑞綺くんは、頬を少し膨らませて、
拗ねているような怒っているような顔をした。

「なんていうか、可愛い人ですね、
瑞綺くんて。
すごく優しいし。

私、皆がカッコいいって言ってる姿より、
こういう瑞綺くんの方が、
素敵と思いますけど。
ギャップって言うんですか?
近寄りがたそうって、思ってたんですよ。
でもすごく親切で。

皆もきっと、
そう思うんじゃないかと思いますけど。
ガッカリなんて、されませんよ」

そういうと、
瑞綺くんは目をパチパチさせて瞬きを繰り返した後、またぷうっと頬を膨らませて
横目で私をジロリと見る。

「成瀬さんは、知らないから。
俺、なぜかめっちゃモテるって思われてて。
経験豊富って思われてて。
そういう体で皆話しかけてくるんだよ?」

「え、でも
めっちゃモテてるのは本当じゃないですか」

「それは俺の顔が良いから……」

「あはは。すごい。
自分で言ってしまえるほどなんですね。
やっぱり、モテる」

「でも、本当にモテてるわけじゃないよ。
顔だけ好きになってもらえても、
それは、寂しいよ。
中身も好きになってもらえなきゃ……。

俺、中身ヘナチョコだもん。
ダメだもん」

「そんなことないと、思うんですけどねぇ」

「てか、成瀬さん……」

「はい」

「昨日は立花くんって呼んでたのに、
今日は瑞綺くんになってる……」

「え! わ! 本当だ。
ごめんなさい、馴れ馴れしく、勝手に。
なんか女子たちが皆「瑞綺瑞綺」って言ってるの聞いてたら、移ってしまって」

「いや、全然いいけど。
どうしたんだろうと思って緊張した……。
俺、考えすぎ?」

「どうなんでしょう。分からないですけど。
別に考えすぎでも良くないですか?
いろんなことに気がつく人なんですよ。
たぶんきっと……」

「きっと?」

「人に見られるお仕事してるから、
余計じゃないですか?

自分がどう見られるか、
自分の振る舞いがどう伝わるか、
いつも気を配ってる。
仕事熱心なんですよ、たぶん」

「なんか、すごいね、成瀬さんて」

「え?」

「昨日も思ってたけど、
自分の意見を持ってて、
それをちゃんと言えて。
カッコいいな。落ち着いてるし」

瑞稀くんが、私の目を真っ直ぐに見て言うので
照れ臭くて、
解けていた緊張がまた戻ってきてしまった。

「別に、落ち着いてないです。
本ばっかり読んでるから、
いろんな言葉が思いつくだけ」

火照り出す頬を風に当てようと
空を仰ぐけれど、
気休めでしかなくて
照れているのがバレないように顔を逸らした。

「ふふふ、照れてる」

「照れてないです」

「そう? あとさ、なんで敬語なの?」

「それは……、なんでだろう。
なぜか敬語で話しちゃってました。
たぶん瑞綺くん、すごく大人っぽいから、
年上に見えるんですね。
だからだと思います」

「えー! そんな理由かぁ。
タメで話してよ〜」

「え、それはちょっと、無理です」

「なんで……!」

「もう敬語で慣れてしまったので、
慣れないというか、違和感というか」

「同い年なのに。ショックだー。
さっきの、年上に見えるっていうのも、
地味にショック。
どーせ老け顔だよ〜」

「あははは」

ものすごく美しくて、
華やかな仕事をして、
周りからキャーキャー言われながら、

だけど中身はこんなにも繊細で、慎重で、
可愛らしいくて、楽しい。
不思議な人だ。

教室で固まってゲラゲラ笑っている男子より、
スポーツや勉強ができて目立っている男子より、
イケメンでモデルで、皆の羨望を人型にしたみたいな華やかなイメージの瑞綺くんより、

今、
目の前でいろんな事にアタフタしながらも、
誠実に接してくれる彼に、好感が湧く。
そして、興味を持つ。
どうしてこの人はこんなに
自信がないのだろう。

「あのさ、昨日」

「はい」

「変なこと言って、ごめん。
恋をするための練習とか……」
 
瑞綺くんは、
照れているのか手で顔を覆って話しだした。
指が長くて手のひらの広い、大きな手が、
シュッとした小さな顔をすっぽりと包んでしまう。

「はい。びっくりしました。
逃げてしまって、ごめんなさい。
咄嗟に、テンパってしまって。
揶揄われているのかな、とも思ったし」

「揶揄ってなんて、ないよ……!
俺もテンパってて。
驚かせちゃったなって、後から反省した。
変なこと言って、ごめん」

「いえ、私、考えてたんですけど」

「え?」

「変とも言い切れないというか。
練習って考え方、ある意味前向きだなって。

私たちが異性を苦手なのって、
興味ない故に
知らない事が多いからっていうのも、
大きいと思うんですよ。

現に瑞綺くんは話してて
私にたくさん疑問を投げかけるし、

私も瑞綺くんを見ていて、
男の人もこんなことを思うんだなぁと知れるのが、
新鮮です。

そしてやっぱり知ると安心して、
緊張も少しずつ解けていくんですよ。
私瑞綺くんと話すの、だんだん慣れてきましたし、
人として興味も、湧いてきましたもん。

だから緊張とか苦手意識って、
知らないとか、どうすればいいか分からない
ってところからが多いと思うので、
そこへの練習っていうアプローチって、

発送は突飛だけど、
とても前向きだなって思いましたよ」

そう。
恋愛や異性や、
人とのコミュニケーションが苦手だって、
別に変じゃないんじゃないか。

そんなの、あまりやってこなかかったり、
興味を持ってこなかった
スポーツが苦手なのと、
そう対して変わらないじゃないか。

だから別に、劣等感なんて感じる必要ない。

ただ、やってみたいなら
興味があるなら
身につけたいなら

取り組んでみればいいのではないか。

瑞綺くんと接して、会話していく中で、
私が抱えていた
恋愛や異性と接することへの苦手意識や、
それらができないことでの自己否定が、

ペラペラと薄皮を剥ぐように
剥がれていく感じがした。

「成瀬さん……」

「はい」

「俺、感動して泣けてきた……」

見ると、あの大きな手で目のあたりを押さえて 
ぐすぐす言っている。
潤んだ瞳は輝きを増して美しくて、
涙に戸惑う気持ちと、
もっと見ていたい気持ちとが湧いて、
自分の感情に混乱した。

「やっぱり、頼みたいな。

俺、モデルとしてもまだまだなんだけど、
いつか
演技の仕事とかもしていきたいと思ってるんだ。

だだ、恋愛が、できる気がしなくて。
でも、恋愛もののオーディションとか、
あって。

やってみたい気持ちと、
無理だろって気持ちとで、
悩んでて。

あのさ、
なんて頼んだらいいか分かんないんだけど、
やっぱり練習、一緒にしてくれないかな?

俺、女子への苦手意識克服するために、
女子についてもっと知りたい。
勉強、させて!」

「え……!
でも、仕事に生かしたいなら、
尚更私では無理では……?

私、恋愛したことないし、
何も教えてあげられません」

「いいの。俺が知りたいのは、たぶん、
女子がどんな風に考えたり、
どう思ったりするのか、とかだから。

それに、俺、女子についても知りたいけど、
成瀬さんについても知りたい。
だから成瀬さんがいい」

瑞綺くんが、座っているベンチに手をついて、
こちらに身を乗り出して
真っ直ぐに私を見つめてくる。

長い睫毛が影を落とす潤んだ瞳。
そこにに宿る、繊細で強い光。
その奥を、もっと見たい。
私も、知りたい……。

「いいですよ」

気付いたら、私は返事をしてしまっていた。

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