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貯金ゼロ化粧品業界経験なしの私が、スキンケアブランドを立ち上げるまで

鹿児島で生まれ育ち、高校卒業後、東京→NY→東京に戻り、女性の様々な人生のステージで環境や拠点にとらわれない会社をつくりたい思いで、2009年10月13日さつまいもの日に、株式会社MarUnited(マールユナイテッド)設立。

それまでは、ヘアメイクアップアーティストとして活動。

この時は、自分がスキンケアブランドを立ち上げることになるとは、思ってもいなかった。。。

(はずだったのですが、当時走り書きしていたノートに「スキンケアブランドを立ち上げる」と書いてあった(潜在意識の心の奥底で考え続けていたのだろうか。。。謎。)

会社は、NYから帰国後1年と経たずに起業

帰国当初、久々に日本に帰ってきた嬉しさと相まって、自信ややりたいことで満ち溢れていました。

でも、数年間日本での仕事から離れていたため、当時と同じようにヘアメイクの仕事がすぐまわってくるかというと、

現実厳しかった。。。

そんな中、ふるさとへの思いが強くなり、鹿児島の魅力を世界中の人に知ってもらいたい!と鹿児島をテーマにした活動をスタート。

東京で鹿児島の美味しいもの、お酒、文化を楽しんでもらいたいとはじめた

#東京さつまつり

鹿児島を世界一美人の多い町にする計画

#鹿児島美人計画

鹿児島で一流の音楽を聞いてもらいたい思いで開催したJAZZコンサート

#ONE  

鹿児島に関する活動をはじめた当初は、ヘアメイクが本業なのに何をしているのか、一体何がしたいのか、何のためにしているのかなど、いろいろなことを言われたものでした。

当時は、鹿児島のことをこんなに考えているのに、なんで否定されるのか理由がわからず、

なんでわかってもらえないのーーーーー!

と、悔しく悲しかった。

今となれば、人はそれぞれいろいろな状況があるからわからんでもないし、そのおかげで度胸とハングリー精神が身についた。

そんな様々な地域活動を通して出会ったのが、鹿児島で化粧品工場を立ち上げていた黒木兄弟。小ロットからでもいいよと、地域活動を一緒に応援してくれスタートできました。

最初は、100本から。

3種類5アイテムからスタート。初代パッケージ。懐かしい。

今までしてきた活動が1つでも欠けていたら出会っていなかったから、人生全て無駄なことはないのだと思う。

おかげさまで8年目の今も、まだ生存中。

当時、ふるさとをテーマにした活動は、ボランティア。収益がでるようにしたかったけど、気軽な金額で参加して欲しかったりと、私にはうまくまわす

器量がなかった。。。

そんな中、手伝ってくれたたくさんの友人、仲間たちには一生かけて恩返ししていきたいと、それが頑張れる源。

(話は戻り。。。)

となると収入源は、ヘアメイクのギャラと、メイク講師代など。東日本大震災の影響もありヘアメイクの仕事は減り、鹿児島と東京行き来の生活では交通費と家賃で生活はいっぱいいっぱい。

その当時、プライベートもいろいろあり、30歳前なのに貯金もなし、家賃を払うのも精一杯で

「お金を貸してほしい。。。」

と、何度友人にお願いしようと思ったか。。。(暴露しすぎw)

学生時代のような、もやしと小麦粉生活に自分が悔しくて情けなくて、どうしようもなかった日々を思い出す。

そんな状況でもブランドを立ち上げる熱意は大いにあったので、都内の銀行をまわる日が続きます。

その時点で、会社設立から2年以上立っていたので使える融資が少なく、大手の銀行にもことごとく断られる。

もう絶望的だ。。。

と諦めかけたとき、中目黒にある信用金庫へ足を運びました。地域活動で、新聞や雑誌に載った記事がたくさんあり、それと事業計画書を持っていき、プレゼン。

赤字決済だし、どこの誰かもわからない鹿児島の娘。

貸してくれたんです。。。涙 

命救われたーーーーと胸がどきどき。

その時お世話になった方にも、いつか恩返しができたら。。。とあの時のことを思い出すだけで胸いっぱい。

あの時助けてくれたあの人のために。

愛情を注いでくれたあの人のために。

が、自分のパワーの源になっています。

今まで出会った全ての人に、

ありがとーーーーーーーーーー!

と言いたい。

そして、国内外のヘアメイクの経験、女性視点の活動、鹿児島というふるさとで育ってきた背景があるということ、プロフェッショナルな仲間の存在、全てを融合して

スキンケアブランド「MARapelarマールアペラル」

が誕生しました。

マールアペラルの昔と今、これからの未来をここにて綴っていきます。

成長を見ていてください!(やる気まんまん)



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