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自分を変える方が楽だった

相手を変えようと躍起になるより
自分の考え方を変えた方が楽。
そう気づいた出来事が先日ありました。

というか、相手は自分の鏡だとか
自分の内側を見るワークをしっかりしましょう
という基本的なことをわかっていても
つい、近しい関係の相手だと特に
変わってほしいと無意識に躍起になっていることもあるものです。

でもそれってかなりストレスがかかる行為で
やっぱり自分が何を気にしているんだろう?
と振り返ることが近道であるんだと思いました。
(わかってはいたんですよ・・・)
(でも簡単にマインドや感情が反応して行動に現れてしまうのが未熟です)
(言い訳は揃いました)

そういえば、前回のブログで
「問題を放置したらどうなるか?」やってみます
という内容を出したのですが
その翌日かな?放置する出来事が起こったんですよね。
不思議と、放置する心の準備ができた翌日に。
「あーまた来たぞ」と思ったものの
「放置してみるんだ」と諦めて放置しました。
そしたら、やっぱりその方がうまくいくんですね(笑)

で、人のことを変えたいと思うとき
私の場合は、身近なパートナーでしたが
パートナーに対して「足手まとい」だと思いっている自分に気付きました。
気づいたら、その思いは私の勝手な思い込みだったと気付きました。
そして足手まといだと思っていたから
相手を変えたいと思っていたことにも気付きました。

彼は一切、私にとって足手まといではなかったことに心底気づいて、申し訳ない気持ちになると同時に、とても何か大切なことを忘れてしまっていたような、そして彼に対して心底愛おしい気持ちになりました。


そもそも「足手まといな私」と自分自身に対して
思っていたことに後日、気付きました。

私は、往々にして人に対して使う言葉は
結局自分に対して使っている言葉なんだと思いました。
自分の中にあるから、相手にそれを見出してしまう。

それは道端の花を見て「美しい」「可愛いな」
と、思う人の心にはすでに
「美しい」「可愛い」が存在しているように
否定的な感情もすでに存在しているから
自分以外に見出してしまう。

自分が普段、無意識に使っている言葉をよく考えてみると
自分の中に何が詰まっているのかよくわかります。
そして、その詰まっているもの次第で
自分の世界はいかようにも変わってしまうのだと思いました。

だから、わかっていたけれど実体験!
タイトルの通り、自分を変える方が楽だった。



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