見出し画像

居場所

意味もなく書きたくなる日もあって。
これを日記にすると宣言してすぐに更新を辞めた。
それが私のめんどくさがり屋な性格であって。
少しだけ自己嫌悪の塊な性格も見え隠れしているせいでもあって。
それでも今日はnoteというものを書きたいと思った。

6月も終わりに近づいた頃、中学3年、受験期という地獄の日々を共に過ごした友人から連絡が来た。
10年振りの連絡が。
「私のこと覚えてる?」

その1つの連絡からまさか東京の真ん中で他愛もない話をしてあの頃を思い出すなんて未来想像していなかっただろう。

学校のどこを探しても無かった"居場所"を創ってくれた大事な友人の1人とこんな都会の真ん中で。

あの頃、進路という人生の大きな節目に立たされ、終わりの見えない地獄のようなあの日々を生きていた。

中学時代、公立にしては珍しい頭のいい奴かそうでない奴のピンかキリという極端な学校の中で平均を行く端くれ者。

クラスでも部活でもあまり馴染むことが出来なかった私はいつの間にか図書室という居場所にたどり着いていた。

とても真面目なのに何処か狂っている。なぜかその才能を隠している。なにか心に抱えている。いい意味でも悪い意味でも"変人"が揃うその場所は私のような人間すらも優しく受け入れてくれた。
来るものは拒まないが去ろうとするものにはそっと手を差し伸べるそんな居場所が。
大好きだった。

心の無い言葉で傷ついて泣きながら駆け込んだ時優しく背中を摩って大丈夫、私も言われたことがあると声をかけてくれたのもここで出会った友人だった。

何度かその居場所が壊されかけたこともあった。
心のない言葉で傷ついた友人を守ろうと率先切って吹っかけられた喧嘩も司書の先生を連れて辞めてくださいと言いに行った。
心の奥底で内申点が下がらないか不安になりながら。
今思えばとんでもない覚悟をあの時持っていたのだろう。

大人になった今、あの頃の友人たちの今を知る。
みんな同じ悩みで苦悩し潰れかけながらも生きている。決して上手い生き方をしてる訳では無い。
そんなこと痛いほど分かりながら。

皆何かを抱えて生きている。そんな人たちにそっと手を差し伸べるモノを創れたら。そんな手を差し伸べる人間になれたなら。
そう思いながら今日の日を終えようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?