釣りに行った。黙々とジグを投げて誘いを入れるときは自分と向き合っている。魚が喰ってきてもバラすとあーもっと上手くやれたはずと自分を責める気持ちになる。どこにも行き場所のないもやっとする気持ち。それで釣り上げた時は嬉しいにプラスしてできて当然みたいな気持ち。釣りと同じくらいがんばっていることも、似たような気持ちになる。 もうちょっと違うとらえかたをしたい。やる気を出せる考え方にしたい。 バラしても、あたりがあった!嬉しい!魚は居るからまた狙ってみよう、とか。 若冲の絵は、今朝
幼少のころよりアイドルにはあまり関心がなかった。聖子ちゃんは歌えるしベストテンとか見ていたけどそんなに夢中になる対象はいなかった。 最近パート先の同僚の方の影響でなにわ男子とかSnowmanのメンバーの名前を覚えてみた。 でもライブに行きたい!までの勢いはないな。。
甘いものなるべく食べないようにしている お酒は月1、2回 集まって手芸するのも疲れるのでやめた ママ友つきあいほどほどに減らした 洗濯物たたむのやめた 思春期に話しかけるのもセーブ中 白髪染めもやめたいな テレビ見るのも減ったわそういえば 深く考えすぎるのもやめつつある お化粧もほぼしない 怒るのもへったかな 読書とギターの練習が減ってるのは増やしたい気がする 白髪は増えたな 教育費が増えた、あと今年入れて5年 経済のニュースを読むのを増やしている
ギター弾くの好きなんだけど、家族に遠慮して弾いてないです。それに慣れてしまって、家に一人でいる時間でも弾かなくなってしまった。いつかはいつ来るのかと思っていると来ないんじゃないか。パワー不足を感じる春。
産直とりよせサイトにて訳あり林檎を買って、毎日食べる日々。青森のリンゴは輸出が国内販売を上回ったとか。
気付いたら日曜で7月も終わりじゃないですか〜。なんや知らんけど心が動くようなできごとがたくさんあった。けっこう日に焼けた。 調弦するように心をととのえたい。
なんだかおかしいと思っているのは自分だけじゃないけれど、そんなの興味ない人とかおかしいとは全く思わない人さらにはそのまま受け入れてしまう人が大多数なのでこの先も同じことの繰り返しになるんだろう。
ねえねえおまえさん なんだい あたしたちもう50歳こえちまったねえ もうじじばばだ 中身はまだそんなに大人にもなってない感じがしないかい? 体力気力は減っちまったがアニソンは歌えるぞ、ウールートーラの父がいる〜 なんだか20年くらい意識と時間が跳んでたような感じがするんだよ そんなこたあないさ、しっかり働いてきたし子どもも育ったし まあそうだよねえ。 と返事をしながら遠くで鳥が羽ばたくのを目で追うのであった。
人の悩み事に対して、誰でもそうだよ〜とかいうなぐさめ。実際そうなんだけど、無難で条件反射的なコミュニケーション?近しい人にはやめようと思った朝。傾聴後のつらいねとかたいへんだったねとかの共感が良いと思われる。
いいかい。よくお聞き。いろんな人があれこれ言ってくるけれど、親切心とは限らないからね。その人の言うとおりにしなくても良いんだからね。ただ直接見なくて良いから注意だけは払っておくんだよ。弱気になるんじゃないよ、特に仕事ではね、喰われちまうからね。大丈夫、なんとかなる。
子どもには喜びをいっぱいもらっているし子どもの人生をそばから見て楽しませてもらえるかわりにおかねがかかる。仕送りはもうこれ以上増やせないのでアルバイトしてください。 この絵は背景の色と母?乳母?の肌の色が一緒で子どもが輝いて見える。子どもを産んで母になった時から人生の主体が自分から少しずつ移行する様を表している感じがした。
何になりたい、というより今は釣りがしたい。釣りをしていると、魚が釣れないかなあと思い、釣れたら大きいのが釣れないかなとか、キリがないけれど、たいていは疲れてきたりたまにはいっぱい釣れたらもう帰ろうという気持ちになって、帰り道に次はいつ来れるかな、何釣れるかな、と思うのであった。 仕事はミスなくその日やることを遅れなくやれれば良し。頑張りすぎる時それは周りの人に良く見られたいと思いすぎるのと自分に自信がないから人の判断に頼ってしまい、どっと疲れてしまうのだろう。今日の仕事は
うひい。あたいはただ時給900円なりの働き方で良いんですが、お仕事ができるお姐様が親切心から?諸々難しい提案をしてくださるので、話が大きい方に向かって行ってしまったんです。まだ、1ヶ月も経っていないんですよ。引き継ぎ終わってから1週間たったところなんですよ。困惑しながら月末を迎えています。 今日選んだこの絵は、外を眺める御婦人に自分を重ねてみたのですが。海だと思ったけれどこれは空かもしれない。
嫌なこととか不満とかをずーっと我慢しすぎていっぱいになると、ちょっとしたことが刺激で溢れてきて周りも水浸しになる。昨夜はそんな感じだった。 小出しにするか、違うところで消化するか。 考え方受け取り方を変えればいいけれど、それでは環境は変わらないじゃないか。理不尽さが残るよ、みつをさん。
雲ひとつない快晴だった。先生にお会いした時はだいたい自分の気持ちが進まない集まりで、よけいに眩しいくらい明るいお人柄に見えた。生徒さんたちが参列されて、祭壇もお花も立派で、残されたご家族の悲しみは快晴の太陽に照らされてできる濃い影のように見えた。今日はとにかく行って、先生とご家族の人生を思い、帰ってきた。 ピアノは子どものころ習ってみたかった。先生のご冥福をお祈りいたします。
そうだ、お掃除を趣味にすれば良いんぢゃないか。すごく良い。