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わたしの姉の妊娠カレンダー

5月の半ばにどうしても書きたくて(仕事をなげうってまで)書いたものだが、なんとなく納得できず寝かせているうちに出産予定日間近になってしまったのでとにかく投稿する。けっきょくあまり書けていないところもあるのでそのうち追記するかもしれない。



小川洋子「妊娠カレンダー」を再読した。


先日、姉に会った。妊娠7か月。用事のついでにちょっとものを受けとるために駅で15分だけ立ち話をした。

お正月に実家に帰っていたとき、年末に妊娠がわかったと告げられた。すなおに、よろこばしいことだと思った。実家の近くの産婦人科に通うつもりだと聞いて、姉らしいと思った。
ひさしぶりに会った姉は、姉がよく選ぶようなすこしくすんだピンク色のワンピースを着て、いつものように騒々しい笑顔をしていた。まだしばらくは仕事をつづけて、予定日の1か月くらいまえからお休みをとるつもりだと話し、子を3人も産んで育てたわたしたちの母との感覚のちがいを笑った。


わたしはいつも妊娠しているひとをみると身がまえてしまう。もっとあけすけにいえば、ぎょっとする、といえるかもしれない。おなかだけが不自然に(このいいかたは適当ではないのだけど、ほかのことばをつかうと強すぎてしまうのでうまくいえない)強調された姿に、動揺してしまう。自分の干渉がなんらかの影響を与えてしまうことを想像して、わたしはすでにおそれている。

料理ののったお皿や、中身のいっぱいにはいったワインボトルを手にしているときに似ている、と思う。
そんなことはしないし、まず起こらないのだけれど、それを落としてしまうことを想像してしまう。落ちたらどうなってしまうだろうと想像してしまう。これを床にたたきつけて割りたくなってしまったらどうしようと想像してしまう。


わたしよりすこし背のひくい姉の、おなかの目だつようになった姿をひとめみて、とっさに「だいぶ大きくなったね」のような自然なことばが出なかった。お正月には目にみえる変化はなにもなかったので、こころがまえができていなかった。なにかおかしくないことを口にしたとは思うのだけど、姉によびかけられてふりむいて、目にとびこんできた姿にたいする動揺だけが印象に残っている。


3年まえの夏に小川洋子『妊娠カレンダー』をはじめて読んだとき、妊娠についてこんなふうに思ってもいいんだ、と救われたきがした。妊娠、ときいたら、目をきらきらさせて、心のそこからよろこんで「生命の神秘ね! 祝福するわ!」といわなければいけないようなきがしていたのだ。

“姉” は2年も毎日基礎体温をはかっていながら、そのときになるとぐずぐずと産婦人科に行かない。「二ヵ月の半ば。ちょうど六週め」とこたえながら特別な感慨をみせない。“わたし” はおなじ家で淡々と生活している。食事を用意する、食べない、食べる。“姉” はエコー写真を無造作に放る、指でもてあそぶ。無表情でグレープフルーツジャムを食べつづける。“わたし” は想像する──。


「枇杷じゃなきゃ意味がないわ。枇杷の柔らかくてもろい皮とか、金色の産毛とか、淡い香りとかを求めてるの。しかも求めてるのはわたし自身じゃないのよ。わたしの中の『妊娠』が求めてるの。ニ・ン・シ・ンなのよ。だからどうにもできないの」
 姉はわたしの声を無視して、わがままを言い続けた。『妊娠』という言葉を、グロテスクな毛虫の名前を口にするように、気味悪そうに発音した。


姉をみたわたしが動揺を自覚したからといって、それは「よろこんでいない、祝福していない」とはまったく別の話で、おめでとう、たのしみだね、これからたいへんだけどがんばってね、と思ったり口にしたりするわたしのことばはすべてほんとうのことだと信じている。子が生まれたらわたしはその子をじゅうぶんに愛するだろうと思う。

一方で、どこかで、妊娠の状態にたいする不可解さというか、のみこめなさがあり、また自分の行動への漠然とした不安があって、こころの片すみが暗い色になってしまう。(念のためにいっておくとこれは性行為への嫌悪とは関係がないし、反出生主義と名づけられるような強い考えとも結びついていない。)


「ここで一人勝手にどんどん膨らんでいる生物が、自分の赤ん坊だってことが、どうしてもうまく理解できないの。抽象的で漠然としていて、だけど絶対的で逃げられない。[……]」

自分の身におきたことではないが、この表現がぴたりとわたしの思いを言いあらわしてくれた。


夏にお産をむかえるとき、姉は31歳になっているはずだ。

お正月には、お酒が大好きな姉が、あたりまえのことだがお酒を飲まなかった。検査薬が陽性をしめす前と後で、その日、その時を境に、「あたりまえ」が変ってしまう。

自分が妊娠したことはなく、身近なひとが妊娠する(そしてその経過をみる)のもはじめてのことだ。これまではいわば思考実験だったシチュエーションが現実にたちあらわれ、わたしは動揺しながらもただそれを見つめてみたいと思っている。



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小川洋子『妊娠カレンダー』文春文庫、p.54・p.68

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