町家に住むことは我慢すること?

私が一番気になることは、町家に住むにはたくさんのことを我慢しなければいけないのか、ということ。冬は寒いし、何かとお手入れも大変、畳で床座などなど。
「町家に住むということは、文化を身に纏うということであり、お茶もお花もできて当然どすな」という話も学生時代を過ごした京都でよく聞いた。


なんだか町家に住む人は、文化レベルが高そうだ…。私も、もちろんすてきな暮らしがしたい。でもそれは、季節の移り変わりを楽しみ、自分の好きなものに囲まれたいということ。そして、安全で、寒いのもいや、水回りは使い勝手がいいほうがいい、ということ。

町家に住むと、そんな普通の願いは叶わないのかな。きっとそうではないはず。まず、町家に住むには覚悟と我慢が必要だという自分の固定観念を振り払いたい。

イタリア留学時代の友達、建築家であり美大の先生をしているマルコに、どう思う?と聞いてみた。マルコはいつも私の素朴な質問に答えてくれる。

マルコ曰く、町家に住むことは、きちんと建物の文脈を評価して、現代と伝統の間のイノベーションをつくりだすことなんだ。

マルコからの返事。

さまざまな文化の伝統的な家についても同じだけど、イタリアと日本でも比較することができると思う。伝統的な家の不便さはしばしば、よく知られているように、
水回りもそのひとつだけれど、居住空間の温度管理ができないことで起きるよね。建物の配置や形は、不便さの理由としては、その次のことのように思う。

伝統的な家に住むために必要な文化とは、そこに住むと決めた人が家との調和を大切にすることだと思う。つまり、家がもともと持つものを、よく聴いて、尊重して、評価して、特徴や生まれ“育ってきた”家の精神を曲解しないことが重要なのでは?

時間とともに、またそこに住む人によって家は価値が上がったり下がったりする。
でも、だからと言って現代的な生活の利便性を諦めなければいけないということではないと思う。その秘訣はいつも、古いあるいは伝統的なことと新しいものとの調和を意識した建築的技術的なイノベーションとういうことだろうね。


2013年6月11日

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