マリリン・マンソン

希死念慮とともに生きる23歳。自傷行為が私の存在意義の確認手段であり、アイデンティティ…

マリリン・マンソン

希死念慮とともに生きる23歳。自傷行為が私の存在意義の確認手段であり、アイデンティティになりつつもある。鬱な気分になった時に、ここに来て文を綴っています。

最近の記事

希死念慮に苛まれ、包まれようとする私

「死にたい」「自分を愛せない」「自分に生きる価値はない」「何のために生きているのか」「生きていてごめんなさい」「死にきれなくてごめんなさい」 どうしようもなく鬱な思いが私を包む時、いつもこう考える。 生きたくないのに、理不尽にも生かされている。 波打つような希死念慮の感情が湧き出てくる。 嗚呼、死にたい。死にきれない。 今日も希死念慮の私を生きる。

    • ハンデを言い訳に生きる

      経験が浅く、若い 子どもを産み、親になった経験がない 耳が聞こえない このハンデを言い訳にしてもいいだろう。 現実逃避は己を守る唯一なんだから。

      • 何もかも消えてしまえ。

        • 希死念慮の私。

          「死にたい」「死んでみたい」「生きたくない」 そう考える私は、希死念慮者。 本当に死にたいわけではない。 こんな私なんかの為に悲しむ人が沢山いて、それを想像すると自殺行為なんて馬鹿らしく思えてくる。 でも、死にたいと思ってしまう。 生きづらさがある。 誰かに首を絞められているような、呼吸がうまくできなくなる。 この悶々とした感情と共に生きていくことは必然なのか?定められた運命なのか? 死にたいのに、死ぬことができない こんな矛盾を抱えて生きていかなければならない。 な

        希死念慮に苛まれ、包まれようとする私

          私はマリリン・マンソン

          死にたい。死んでみたい。 果物ナイフで白い太ももに刻印をつける。 真紅の血が滲み流れ、その血を掻き出そうとする。 痛みは感じない。 心が痛い。 太ももにつけられた刻印、傷痕、 私が生きている証だ。生きていることの証明なんだ。 「他人の価値観で生きることの馬鹿らしさ」 マリリン・マンソンはこう言う。 他人の価値観で生きることは自分の首を絞める行為なのにもかかわらず、 私はどうしても他人の価値観で生きてしまう。 他人の顔色を伺いながら、他人に好かれようとしながら、 い

          私はマリリン・マンソン