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ソープナッツが楽しくて仕方ない


ソープナッツをご存知ですか。読んで字の如く、ソープナッツ(soap nuts)は洗浄成分を含み、洗剤石鹸となる木の実です。ランドリーナッツと呼ばれることもあり、日本でも同じように石鹸の役割として古くから使われていた近い成分のものとしてムクロジの実があります。

我が家ではソープナッツを鍋で煮出し、手作りソープナッツ液を作っています。これを瓶に入れて冷蔵庫保存をし、主に食器洗い洗剤として使用しています。

かれこれ半年ほどこの手作りソープナッツ液を使っているのですが、次第にこのソープナッツの得意分野が掴めてきました。

ソープナッツが最も得意とするのはガラスの洗浄。特に抜群の効果を実感できたのはコーヒーに関連したあれこれの器具を洗う時です。アイスコーヒーを作ったガラスポットやコーヒー豆を保存していたキャニスターを洗う時、香りが命のコーヒー器具には洗剤の香料は絶対に付いて欲しくない。もちろんお湯でしっかりと濯ぐものの、何となく洗剤成分が気になりながら洗っていたので、ここにきてソープナッツを使うようになり、この心配事が一気に消え去りました。

まず、ガラスを洗い終わった時の「キュキュッ」というどこぞの洗剤CMのアピールかのようなあのしっかりとした指とガラスが摩擦する感じが、他のどの洗剤を使っていた時よりも抜群に「キュキュッ」としています。

更に、臭い残りはゼロ。コーヒーの香りもしっかり消えているし、洗剤臭もありません。強いて言えば都会独特の水の匂いはします。それくらい、他の匂いが残らないのです。
コーヒー器具やガラスカップ、陶器のマグ、紅茶用ポットなどはもはやソープナッツ以外で洗うのは考えられない程、気に入って使い続けています。

ただしこのソープナッツ液、慣れるまでに人によっては少し時間とコツを要するかもしれません。泡がほとんど立たないのです。従来の洗剤の洗い方のようにスポンジを泡だらけにし、食器も泡だらけにしないとと言う概念を一度スッパリと捨て去る必要があります。

ソープナッツでの洗浄の仕組みとしてはソープナッツ液が汚れを絡めとり、ソープナッツ液が濁って汚れ、その濁りを洗い流すことで汚れが落ちる、と言う順番です。汚れて濁ったソープナッツ液が他の食器に付着すると、他の食器の汚れ落ち度が下がります。つまり、食器を一つ一つ洗っていくような丁寧さが求められるのです。洗い桶にまとめて食器を突っ込んでジャブジャブと、という洗い方では汚れを落とすのがやや難しいかもしれません。
この「泡立たない」ことと「一つ一つ丁寧に洗う」ことの二つのハードルによって、ソープナッツを面倒だと感じ、使い続けられないと感じてしまう人がいるようなのですが、私には全く問題ではありませんでした。

これまでも洗い桶は使ったことがなかったし(桶の存在が邪魔だし、汚れた液の中に食器が浸かるというのは私には心理的に負担が大きいので、使おうと思ったことがありません)、お水が勿体無いので蛇口を開きっぱなしにして食器を洗うことはありません。つまり私としてはボトル式の泡立つ洗剤を使っていた時と、洗い方にそこまでの大差がなかったのです。

もちろん泡立たない液でシャバシャバと食器を洗うことには最初多少の戸惑いはありました。ちゃんと洗浄液が食器全体に行き渡っているのかしらという不安。泡があればどこまで泡が付着しているのか視覚的に確認しやすいのですが、ソープナッツ液は単なる薄茶色の液体なので、付着した範囲の目視がしづらいのです。ただそれも慣れで解決するもので、使っているうちにストレスを感じなくなりました。

そんな私の愛するソープナッツですが、苦手分野もあります。漂白です。
こればっかりは成分として含まれていないので、致し方がありません。
洗濯にもソープナッツ液を使ってみたりもしたのですが、やはりキリっと白く洗い上げたい私としてはソープナッツと洗濯の相性はイマイチだと感じてしまいました。
愛犬のお布団などは洗浄成分や香りができる限り布地に残らない方がいいなと感じているので、このソープナッツとの相性が良いかとも思ったのですが、汚れは落ちている様子なものの、どうしても犬臭が消えないのです。もう少し工夫をしてみれば(水温やつけ置き時間の調整、ソープナッツ液の濃度の調節など)犬グッズの洗濯にも使えるようになるかもしれませんが、まだまだこの分野は未開拓です。


私がソープナッツと出会ったきっかけはクルエルティー・フリー、つまり動物実験のない商品についてと、ゼロ・ウエイスト、ゴミを減らすための行動への取り組みのあれこれを調べていた時でした。

食器洗い洗剤や洗濯洗剤、お風呂洗い用洗剤にトイレ洗浄剤など、日常的に登場する様々な液体洗剤を使用する場合、避けては通れないのがその液体を保存運搬するための容れ物。kこれらはペットボトル素材や、詰め替え用を買うにしてもプラスチック素材の袋に入れられて流通している場合がほとんどです。この容器に伴うゴミをどうにかできないものか、と考えた人たちが始めたのが、洗剤の量り売りや固形石鹸の利用。そしてこのソープナッツも登場し、じわりじわりとシェアを獲得しつつあるのです。

ソープナッツは洗濯洗剤、食器洗い洗剤、その他様々な洗浄剤として活用されるもので、使い方は皆さんそれぞれ工夫されている様子。ナッツのまま袋に入れて洗濯機に投入する使い方や、実を粉末にしてから使う方法など、「ソープナッツ」「使い方」でンターネット検索をしていると様々な紹介ページに辿り着きます。

ソープナッツについて発信されている方は地球環境保全、エコやゼロ・ウエイストなどに普段から高い関心があり、それらをとてもおしゃれに発信されている方が多いように感じます。
そこに何ら問題はないのですが、最近気がついたことは、数年前から起きていた「エコのファッション化」についてです。様々な媒体でエコな取り組みやそれらに関心の高いセレブリティの様子が紹介されるにつれ、本質から離れたファッションに奉られ、結果一過性の消費される「エコなんとか」が量産され廃退して行ったという本末転倒のようなブームがあったように思います。もちろんブームをきっかけに本質から考えられるような人が増えたらそれはとても素晴らしいことなのですが、流行というのは本来消費されるものであり、なかなかバランスを取るのは難しいものです。

歴史は繰り返されるもので、過去にエコがファッション化したように、ゼロ・ウエイストもファッション化されそうになっている現在(もはや手遅れな部分もあるかもしれませんが)、私が個人的に思うのは、「結局どんなに流行っても心から楽しめるものじゃないと続かない」という結論です。

食器洗いについて言えば、ソープナッツを量り売りのお店で買って瓶に詰めること、家に帰ってソープナッツを時間をかけてコトコトと煮出すこと、それらをお気に入りの空き瓶に詰め替えて保存すること、少しずつ取り出してヘチマたわしにつけながらお気に入りの食器や調理器具を丁寧に洗うこと、食器洗いに伴うゴミ(ボトルやプラスチックバック、へたったスポンジも含め)がとても少なくなったこと、それらは私にとって全てが心から楽しく心地よい行為です。だからこそこれからも長く使い続けたいと思うし、例えば他の人に「ソープナッツはイマイチだわ」と否定されたところで全く気になりません。なぜなら自分は十分なメリットを感じているし、使っていて心地よいからです。自分で自分の家の食器を洗うのに、誰かの評価は必要がありません。

日常をハッピーにしていくコツは自分自身が生活に伴う一つ一つに納得してストレスが少ない状態を維持できていること。自分は何が心地よいのかを知っていることだと思うのです。
そして毎日使うものは自分自身の心の鏡となり、相互作用をしていきます。何気なく手にするものにこそ注意を払わないと、自分自身が理想ではないものに根っこから侵食されてしまうのです。
洗剤一つ、スポンジ一つ、水を飲むためのコップ一つ、それらを一つ一つ選択し見直すだけで他の部分まで確実に何かが変わって行きます。
選択は生き方であり、どんなに文句を言おうとも結局は自分で作っている現実に他ならないのです。

さて、毎日使う洗剤、何を選びますか?

私は今夜もニヤニヤしながらソープナッツを煮出しています。最高に幸せな日常です。


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