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もしもみんなが無駄遣いをやめたなら

私は80年代生まれで、私たち世代の親はまさにバブルやら経済成長やらで消費の権化のような時代を楽しんできた世代だ。

ありとあらゆる角度から消費者に物を買わせようとし、人々にたくさんのお金を使わせようとする工夫に溢れた時代であり、同時にお金を使うことや物を多く所有することがカッコいいと洗脳させられた時代でもあった。

コロナ後の物価の高騰からミニマリストの暮らし方やお金を使わない暮らし方、節約などのキーワードが目につくようになった。日々の生活を圧迫する食費や光熱費の値上がりは、否が応でも財布の紐を固く固くと考えさせられる。

私自身も、物を持たないように心がけ、買いすぎないように注意を払い、外食は極力控えて自炊、スーパーでも安いものを選ぶように気をつけたりと、大きなところから細かいところまで無駄遣いをしていないか目を光らせているつもりなのだが、どうにも思ったほどの節約効果が出ていないのではと感じることもある。

それはもちろん、引き締めても引き締めても上がり続ける物の値段に影響を受けているのかもしれないが、ここで少し立ち止まって振り返ってみた。

私たちは、お金をじゃんじゃん使わせようとする時代に生まれ、その中で育ってきたのだということを。

お金をたくさん使って物をたくさん手に入れるのが豊かな暮らしで、お金がなくて物が買えないなんて酷く惨めな暮らしであるという洗脳がまだ体内に染み付いているのではなかろうか。


社会という何か大きなものは、そんなひどい設定で人々を洗脳してはいませんよと言うかもしれないが、よく考えてみてほしい。
本当に多くの人がお金を使わなくても幸せになれる方法を編み出してしまったら、お金を使ってほしい人たちが困ってしまうだろう。特に国。税金を徴収しようにも、そもそも稼いでもおらず使ってもいないのだから、どこから取り立てたらいいのだろうかと困り果て、あげく収入と無関係に生きているだけでお金を取れるように固定資産税を上げていくだけでは足りずについには呼吸税だ生存税だと未知の謎の税を捻り出してくるかもしれない。

コロナ禍で経営難に陥ってしまった病院があったように、仮にすべての人が健康診断をやめ、病の早期発見をしないようにし、治療することに消極的になってしまったら、病院はバタバタと潰れてしまうのかもしれない。
早期発見早期治療が良いこと、長生きすることが良いことという概念を生み出し、健康長寿は素晴らしいと思い込まされているのだが、長生きに全く興味がなくむしろさっと去りたいと願っている私としては、この喧伝にも首を捻ることもある。今よりも寿命が短かったであろう戦国時代や江戸時代の人たちは今の人たちよりも不幸だったのだろうか、そんなことはおそらく無いだろう。平安時代はさらにもっと寿命は短かっただろうし、電気もないから活動時間も短かったことだろう。それでも今の人と比べて(比べることそのものが本体はナンセンスなのだが)不幸で不憫な一生を送っていたのだろうか、そんなことは無いだろう。

コロナや物価の高騰は、人類に今一度考え方を見直すようにと、きっかけをくれているのかもしれない。

その買い物は本当に必要なのか、その検査や治療は本当に必要なのか。

社会という大きな何かがお金を使わせようとしている罠にまんまと引っかかってしまっているのではないか。世の中は未だ常に、お金を使え使えという圧力に溢れている。

安いからという理由だけで買うのをやめ、そのうち使うかもという無計画な消費はせず、本当に必要な物を本当に必要な時にだけ吟味して買うようにしていけば、地球環境問題から労働搾取問題まで、きっと多くの問題が少しずつ解決していくのではなかろうか。

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