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悪い人格なんて、無い - 「No Bad Parts」を読んで

去年から、IFS(Internal Family Systems 内的家族システム)を学んでいる。1990年代前半に体系立てられた、臨床に基づく心理療法。トラウマ療法やコーチングなど、幅広い分野で応用されているので、IFSって言葉が馴染みなくても、コーチングの一貫として受けたことある人もいると思う。

IFSって面白くて、自分の心は1つではなく、様々な副人格から成り立っていると捉える。大きな家の中に、家族のように沢山の人(パーツと呼ばれます)が住んでいるイメージ。そして、そのパーツたちと、友人と話すように、対話することができるのだ。自分の中からパーツの声が聞こえ、コミュニケーションを取ることができる。その感覚も、とても面白い。

日本でIFSを伝えている人たちの発信も見ているのだが、その中でIFS創始者のリチャード・シュワルツ博士が初めて一般向けに出した本「No Bad Parts」の投稿を目にした。

日本語翻訳版は現在セラピストの後藤ゆうこさんが取り組んでいるそうで、まだ出版されていないんのだけど、めちゃくちゃ面白そうである。早く読みたい。

後藤さんの記事はこちら。

洋書を読むのは大学生以来であるが、amazonで取り寄せてしまった。1日数ページずつ…ゆっくりとであるが、翻訳アプリを片手に、読んでいる。そして、やっぱり、めちゃくちゃ面白く、心に響く。一ページ読むごとに「うっわー!シュワルツ博士、すごい!」となる。

特に、この本の題名と同じタイトルが付けられた「No Bad Parts」という序盤の章は、本当に素晴らしくて、読んでいて震えた。

拙い訳であるが、(一部間違っている可能性もあるけど)よければ読んでみてほしい。
パーツ・重荷など、IFSの用語が少し分かり辛いと思うので、最後に解説を入れています。


No Bad Parts. 悪いパーツなんて、いない

「ひどい暴力を振るわせたパーツを、どう扱えば良いのか?」
この本のタイトル「No Bad Parts」を見て、こんな疑問が浮かばなかっただろうか?

人を殺したり、性的虐待を加えたパーツについてはどうだろう?人を殺そうとしたパーツは?これらのパーツが、善良なパーツに変化することなど、あり得るのだろうか?

1980年代の終わりから1990年の初めにかけて、私は、複雑なトラウマを抱え、境界性パーソナリティ障害、慢性うつ病、摂食障害などの重い診断を受けた人たちを専門的に治療するようになった。

彼らをIFSで治療するうちに、パーツを駆動させる重荷は、幼い頃のトラウマに根ざしているということが次第に明らかになった。

私はまた、虐待の加害者を理解し治療することにも関心を持つようになった。なぜなら、加害者の一人を癒すことが、将来の多くの被害者を救うことにつながるからである。

私はイリノイ州にある性犯罪者治療センター、Onarga Academyのコンサルタントを7年間務めた。そこで、子どもに対して性的虐待を犯した人たちの心の声に耳を傾ける手助けをする機会があった。その時私は彼らから繰り返し、同じ話を聞いた。

加害者が子どもの頃に虐待を受けたとき、パーツのひとつが彼を守ろうと必死になり、彼を虐待した者の怒りや性暴力的なエネルギーを引き受け、その加害者から自分を守るためにそのエネルギーを使ったのだ。

その時点から、この彼を守ろうとするプロテクターパーツは、憎悪と支配欲、そして弱さを罰する重荷を背負い続けた。
この部分はまた、虐待された時から、時間が止まったままだ。

このように、子どもを虐待するきっかけは、弱くて罪のない誰かを傷つけることで、パワーを持っていると感じることができるからである。このような加害的なパーツは、自分自身の脆弱で子どものようなパーツに対しても、同じことをする。

ある世代のプロテクターパーツが、その親から虐待を受けている間に、その親の加害者としての重荷を引き受けるというこのプロセスは、遺産としての重荷が引き継がれる一つの方法である。

初期の虐待から抜け出せないパーツを癒すと、加害的なパーツは親の暴力や性的なエネルギーを手放し、他の部分と同じように、すぐに変容して価値ある役割を担うようになった。この期間中、私は様々な加害者(殺人犯を含む)の話に耳を傾ける機会があり、同様の発見をした。私はWill Rodgersの有名な言葉「嫌いな人には会ったことがない」を思い出した。

私は最終的に、全員を好きになった。凶悪な犯罪をした人たちでさえも。

それから数十年経った今、私は数え切れないほどのクライアントと関わってきたが、悪いパーツなどない、と信じている。

精神的、また宗教的な伝統は、誰に対しても思いやりを持つことを勧めている。IFSは実際にそれを可能にしてくれる。
IFSは、どんなに悪魔のように見えるパーツであっても、その役割に追い込まれ、嫌な重荷を背負うようになった秘密の辛い歴史があり、それがその部分を動かし続けているという、前提に立っている。
このことはまた、これらのパーツと、パーツを内包する人々が癒され、変化するのを助けるための明確なステップを示している。

それは希望の無いところにも、希望をもたらす。

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※用語の説明

パーツ=人の人格を構成する副人格。一人の人間の中に様々なパーツが共存している。重荷によって、本来の役割とは違った役割を担わされている場合もある。(例:本当はチアリーダーのようなパーツだったのに、過去に両親からネグレクトされたトラウマから、「私はありのままでは愛してもらえない」という重荷を負い、自己批判をする役割を引き受けた。等)

重荷=トラウマなどによって形成された極端な信念や感情・身体感覚。

プロテクターパーツ=痛みや辛さを抱えているパーツを守るために、極端な役割を引き受けているパーツ。システムへの影響力が強い。上記では、虐待を誘発させるパーツもプロテクターパーツにあたる。
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誰しも、それを物理的に、または発言として表現しなくても、子どもに対して暴力的なエネルギーが湧いてくる瞬間ってあると思う。
(上記のような例でなくても「なんで勉強しないの!?」「どうしてみんなと同じにできないの!?」とか)

それって、遺産として引き継がれた重荷だったのかー…
と理解すると、そこに、うわ、親も私も子どもたちも、そんな中生きてきたんだ、キツいな…という、大きな辛さも感じるし、
一方で、それなら手放せるかも、という安堵感も感じる。

やっぱり、この視点って今までなかったなーと思う。
この、視点を得るだけで、世界が全く違って見える感じが、すごい。
IFSは上記のような人たちだけではなく、全ての人が、重荷をおろして、少し楽に生きるために、きっと役に立つ。

日本語訳版はいつ出るのかな。楽しみにこちらの原著も、読み進めようと思う。

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