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ともに願う。

8月9日。
自分の思いを整理できるかわからないけど、書いておきたいと思います。

8月9日、長崎の爆心地公園で祈りを捧げた。
目の前に子どもを連れた4人の家族がいた。子どもたちは多分5歳と0歳くらい。暑い中お母さんは0歳の子どもを抱っこひもで抱きかかえ、11時2分が来るのを待っていた。5歳の男の子は、お父さんにしがみついている。「こわい、かえりたい」と言っていた。

帰宅後、4歳の娘と今日の話をしようとすると、娘も「こわい、そのはなしやめて」と言った。77年前の今日、どんなことが起こったのかは、まだ小さくて理解はできていないと思う。子どもは感受性が豊かだからこそ、その場に漂う空気や、それを語る大人たちの声色から、「日常とは違う、何か恐ろしいもの」を感じ取ったんだと思う。
それでいいと思った。
理解はできなくても、それをちゃんと心で感じたことに意味がある。

そして一方で、この日を「怖い」とだけ感じている娘を見てハッとした。
わたし自身も子どものときから、8月9日は原爆の恐ろしさや、戦争の怖さを感じる「怖い」日だった。

今日お話を聞いた一人の方は言っていた。「8月9日は当時に想いを馳せ、追悼する日。」そして、「今、日常にある愛や平和を、改めてちゃんと感じる日。」と。
その言葉で8月9日の捉え方が少し変わった。
当時起こった戦争の怖さや寂しさも感じ、そして忘れてしまいがちな日常に溢れている愛を見つめ直し、幸せを噛みしめる。
どちらの感情もちゃんと味わう。そして未来への平和を願う。
子どもたちと、ともに感じることで、ともに平和を願おう。そう思った。


8月9日に関しては、色んな考え方、捉え方があると思います。
この記事はあくまでも、今、わたしが、感じたこと、を書き記しました。


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