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scene4 星の子変格活用📒#『私の物語』#自分育て#Find It#私はどうしてお花畑脳に育ったのか。このままでいいのだろうか。

「親はなくとも子は育つ」
托鉢の旅に出た実父の口癖です。ずいぶん都合の良い話です笑。

生母を無くしてから養父母に預けられるまでの数ヶ月。実父と二人暮しの記憶があまりありません。覚えているのは転んで膝を擦りむいた時に、父が「痛いの痛いの飛んでけ〜」とおまじないを唱えてくれてほんとうに痛みが消えたことです。

普通の家庭では、傷口の消毒をしたり、絆創膏を貼ったりするのだと思いますが
(私も自分の子にはそうしました)
手当などはなく自然治癒まかせでした。
風邪を引いて熱が出ても、お医者さんに行くことはありません。お布団を被って2〜3日寝ていれば治ります。
 私の自己治癒力への自信はこの頃、育まれたようです。明らかにお花畑脳への一歩です。

この頃。

母がお星様になったという話は、
私の脳内で少しづつ形を変えていきました。

お母さんはお星様になった。→
お母さんはお星様に住んでいる→
お母さんはお星様に還った→
お母さんはもともと星の人だった→
つまりお母さんの子供の私もその星の子である。→そして私はこの地上の人たちを守るために今この星にいる。

三歳の宙2病です。飛躍もありますが、新興宗教を立ち上げようとしていた父の話も少し混ざっているのかも知れません。

そして
私は自分が星の子で、この地上の人たちを守るためにここにいるのだという感覚をたぶん小学生の頃まで持ち続けていたようです。

養父母に引き取られた時の私は
私が二人を守るのだと、私が二人の保護者なのだと本気で思っていたのです。

それはもしかすると
自分を守るための認知の防衛機能

だったのかも知れません。

もちろん現実には、貧しい暮しの中で、
私を護ってくれていたのは養父母です。


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