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香ばしくない状況からの脱却

「今の自分は幸せです、最高にいい感じ!」と言えない、なんとなく”香ばしくない状況”にいる場合、どうしたらいいのだろうか、というのがこの間ずっと考えてきて、日々なんとかしようとしてきていることである。

私の場合、ライフワークでやりたいことの方向性もぼんやりではあるが定まってはいる。仕事もこの2年くらいは組織のバックオフィスの責任者としてやらないといけないことが何かもわかっている。がしかし、自分が0から作った組織でなく、組織課題が山積みで、組織のことが好きだ!と言えない上に(ただ、自分含めスタッフのエンゲージメントを上げることも私の仕事ではある)、個人的にはやりたくないことが仕事の大半を占めていたりすると(細かいバックオフィス業務は必要なことは重々承知だけれど、正直やりたくはない)、鬱々としてくる。
また、中年に差し掛かり、自分の肉体が色々とcomfortableでない時、confortableになるべく努力は試みているが、活力がわかない。もちろん、毎日ずっとこういう状況なわけではないが、気を抜くとこういう状況が押し寄せてくるので、困ったなあと思っていた。

離れ離れで暮らしている夫が一時帰国で1年ぶりに日本に帰ってきて、2週間弱過ごした後ニューヨークに帰って行き、一人しーんとした自宅で朝目を覚まし、またこの鬱々とした気持ちが襲ってきそうな気配を感じた。(というか、夫が帰ってきた2週間ですら、鬱々とした気持ちは0ではなかったので、残念ながら自分の問題と夫がいるかどうかはあまり関係ないことが改めてよくわかった。もちろん、孤独がこの問題に拍車をかけることは間違いないのだけども)

現実よりも、ぬくぬくした布団の方がよい、と布団でウダウダしながら、携帯をいじっていると、たまたま三島由紀夫賞を受賞した、太田ステファニー歓人さんの受賞会見の動画が流れてきた。この方の存在をあまりそれまで知らなかったのだが、頭と口元をチェックの布で隠した不思議な格好に、まず目を奪われた。生きる喜びはなんですか、という記者の質問に「妻とご飯食べたり、友達と遊んだり、自分なりの親孝行をできたり、いいものを書けたなって言う時ですかね。それ以外は全部辛いっす」と言っていた。幅広く人々に届くような文体を意図したのかと記者に聞かれると、「自分が書きたいものを書いた」「最悪誰かに届かなくてもよい、誰かに届けば嬉しいなと思っていた」と話し、パレスチナの人に寄り添いたいといってパレスチナのアイコンのスイカを記者会見の机の上に置きながら、作家の連帯は必要かと聞かれると「連帯っていうか、心細いんで、味方してくれる作家の先輩がいるなら頼もしいっすね」と答えていたことが、非常に印象に残った。

太田さんの自分を貫く様に、私は心打たれた。
ああ、誰になんと思われようと、私は自分のやりたいことを、自分のタイミングでやればいい、と思った。自分の小ささ浅はかさが恥ずかしくて発信できなかったり行動できなかったりするのだけれど、もし間違っていたり新たに気づいたらその時直せばいいし、どうせ最後チリになってしまう存在なわけなのだから、誰かの目を勝手に気にしたり、自分の小ささを恥ずかしく思ったりするなんて、マジでナンセンスだなと思った。自分のやりたいこと、やるべきことをやればいい。

ということで、思いがけず、香ばしくない状況を脱却する一つの鍵を得た朝だった。




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