つまんない
アーつまんない。
つまんないをすぐ言う45歳は面白くない上に「つまんない」と発語に至った場合空気の振動により空間にうるささを発生させる物体になってしまうので不必要な発語は控え、
ベーカー街に繰り出したり、
衣装だんすの中にしけこんだり、
それと並行して、何度目やねんの緑の切妻屋根の家を覗きこんだりしている。
持ち運びがラクなのであっという間に過ぎ去りし世界。
映像で、複数パターンのベーカー街のヒトを見たのに、そういえば原作は読んでなかった。
むかし目にした、学校の図書室にあるそれらのヤツの表紙がおどろおどろしいオッサン眉間にシワいってるやん、石畳にガス灯のぼんやり感、昭和の世界観に魅力を感じない子どもだった。
アガサ・クリスティは10代終わりから20代頭くらいに短編中心に読んだ。一時期、本棚にずらりと並んでいた。灰色の脳細胞のヒトよりミス・マープルのヒトが好きだったことは覚えているけれどエピソードはひとつも思い出せないので「読みました」とはひとに言えないと思っていたのだけど、作家のいしいしんじさんがトークショーの中で「クリスティもたくさん読んだけどなんにも覚えてないですね…?」って言いながらあれれ顔していたので私は爆笑したことがある。
いしいさんのそれを聞いてから、私も「アガサ・クリスティはだいぶ読んだ。でもなんにも覚えてないから、また読んだら面白く過ごせるのすごくイイ」って言って、正直度レベルが上がったのでとても嬉しい。
ベーカー街のヒトは、いくつかの映像作品を見ていた、それが踏み台となって、とても楽しめた。
完全に大人向けの作品なのに、学校図書館にいる奴らは子ども向けのテイで、なのにあないに子どもをおどかす雰囲気なのが私にはハードルが高すぎトラップ、読ませたい大人の度を超えた情熱暴走が、私には逆効果だったのがわかって良かった。
完全に大人向けの作品なのに、男女のめんどくさい装飾が潔癖レベルなことに感動した。
なのに麻薬に対しての感覚が、すごく現代的なDrのヒトという印象で、その時代のいろいろな善悪のバランスがすげえなと思った。
トラップといえば、私はパンダグッズ欲しさに新潮文庫びいきが染み付いたオンナなのでそれのリスト順かなと思い一冊を買ったのだが、数ページ読んでなんかおかしいなと思った。
探偵の素質があるオンナやさかい。
現代の探偵の素質があるオンナは、ネットで検索するねんで。
もっと高度なことはハッカー集団に頼むけど、「ホームズ 読む順」かなんかで検索して、賢い親切な読者パイセンに無料・無条件で正しい順をおそわりました。
探偵の素質はある。違和感は見逃さないタチだから。
でも自分に降りかかる可能性のあるモノではないので、謎に取り組む必要がないので、ただただなるほどなあという姿勢のオンナ。
読んでる最中、なんにも考察しません。ただただ活字をガブガブ飲むばかり。
よくできたトリックだなあとかも特に思わなかった。
灰色の脳細胞のヒトは、灰色の脳細胞すごいなあ。
ミス・マープルのヒトは、ミスのマープルおばさんすごいなあ。
ベーカー街のヒトは、その点おふたりなので、すごくスゴイしおもしろいんだなあ。
衣装だんすのヒトたちは、小野不由美さんが影響受けたことを丸出しなやつなので、ええかげんワシも履修しとかなあかんな、という重い腰上げた状態。
小野不由美さんの作品は、たまたまデビュー当時から手に取っていて、常にまんまと乗る読者でい続けている。
作品に対しての私の執着は吐き気がしてくるレベルなので「言う」という行為自体はばかられるので言わない派。
言えることとしては、作品のページ数がどんどん増えていくそのままに出版される、あの時代を過ごせた面白み、狭い生活圏内でいつでもマイノリティーだった自分が、ニッポン圏内ではマジョリティーだったのだと知った時のおもしろさ、その体験をさせてもらえたのも貴重なことで、そらそうや言えへん、大きすぎて説明が追いつかない。
衣装だんすの中のヒトたちは、世界的に大勢に支持されている。
だから面白いに決まっている。
おいら2020年45歳で読んで良かったな。プティングはプッチンプリンの仲間(ぜんぜん違う)、くらいの名詞把握だったらなんだかな〜なんだかな〜の連続で物語を楽しむところまで届かなかったと思う。
まだすべては読み終わっておらず、シリーズあと数冊残しての道の途中だけれども、おもしろく過ごしている。
緑の切妻屋根の家の中を覗き込むのは、周期的にそうせざるを得ない。
子どもの頃にテレビまんが(今で言う「アニメ」)の再放送で飛び飛びに見るわけ。
幼児だからちゃんちゃんと毎回見れるわけじゃないから。
孤児院から年老いた兄妹に引き取られた少女の話、じゃあ、いじめられるやつだな、っていう私の思考、そういう考えに至る環境が今となっては底冷えで恐ろしいけど、そういうモンだと思っていた。
なのに、自分の成長と、巡ってくる何度目かの再放送、それに流されるまま見ていると、おかしい、全然孤児、いじめられない。
のびのびとお暮らしで、草っぱらに寝っ転がったりする。
草っぱらに寝っ転がるとか、めっちゃ憧れる。
テレビでもマンガでも、原っぱに寝っ転がってる率、高い。
めっちゃ憧れるけど、私は実際には全然寝っ転がりたくない。
草の汁ついたり、土もつくし、あんなとこヘンな虫もおるやないか。
だから寝っ転がって鼻歌でも歌ってるヒトを見てればそれでイイ感じ。
編み上げの靴はいちいち面倒臭いし、フリルは皮膚にかゆい。
でもそれを身につけているヒトを見るのは好きだ。
あと、ダイアナが好きだった。
主人公がダイアナをめちゃくちゃ愛するので、めちゃくちゃ魅力的に見えてしまっていた。
細かいストーリーは、よくわからないで過ごした。
原作を読んだのは遅かったけど、まだ子どもだったので子ども向けの翻訳だったと思う。
全然主人公を好きになれなかった。
めちゃくちゃすぎる。
なのに人々に愛されているという設定。
なんで〜?ダイアナのが全然イイじゃんか〜?
「イイ作品」をイイと思えない自分って、やな感じだ。
なので、7、8年後に、パンダグッズ収集の足しに、という名目で、新潮文庫のそれに再度手を出した。(文庫カバーの端に付いてるマークを集めるとグッズがもらえた)
本当は、赤毛のアンの魅力をわかりたかった。でも再読してもわからなかったら落ち込むやんなので、ずっと遠巻きにしていた。でもどこの本屋にも置いてあるので常に突きつけられる現実の日々だった。
のに。
めちゃめちゃかわいいいいいいいいいい。
アン・シャーリーのめちゃくちゃさは変わらないけれど、私がおおきなおねいさんになれていたので、見る目が変わったので、えええええマジかー、それだけで捉え方がこんなに変わるのかー、こういうことって「読書経験」で引き合いによく出されるけど、私にもこんなにわかりやすく起こるなんて、運がいいとかそういうオハナシですよね?くらい劇的な差があった。
おおきなおねいさんの私はとっても普通なちょろい大人になっていた。
よかったよかった。
アンもかわいいけど、年取った兄と妹、特に妹・マリラの変化がとてもいい。
「赤毛のアン」て、孤児の女の子が幸せになる話、ってそれはそうなんだけども、それよりも、孤児の女の子をなりゆきで引き取って育てる立場に追いやられちゃった年取った兄と妹がめちゃくちゃ幸せになる話、なので、読む側の人間どんどん年取るのでこれから先も何回読んでも嬉しがって読めるお宝作品なのだった。
後続作品の登場人物ミス・ラベンダーが45歳で今同い年やんわし!ってなってテンション上がった。45歳感の時代的差異とか趣深いわ〜。
あ、今年はそうだ、「家なき子」(エクトール・マロ)を読んで震え上がったのだった。
旅芸人のヒトに連れられて旅する少年のアレ、これもテレビまんがのやつを読んでみようシリーズだけど。
過酷な旅、でもお猿さんとワンちゃんがいるからかわいい。
くらいの幼児の記憶で読んだ。
なんで!?誰も私に教えてくれてなかったで!!!!!
めっちゃやばい物語やんけえええええ!!!
ってなった。
あでも安達祐実さんが教えてくれとったなァ。
あのドラマの内容、雰囲気は、割と忠実だなこれ。
エピソードがリアルな「事例」に沿って作られてるのがわかる、その当時の現実に比べれば確かに子ども向けにふんわりまとめられてはいるんだろうけれど、逆に私は現代のオトナなのでめちゃしんどい。
現代でもそういった過酷さは、現実にもあるし…つらい…ってなる。
シビアな現実が透けて見えるのに、それだけじゃなくって、波乱を乗り越えてしまうドラマチックすぎる主人公の運命が、エンタメ性強めでそれもめちゃつらかった。おばちゃんが読むにはつらすぎ。つらすぎてギエー!てなる自分がおもしろかった。
あと挿絵の「琴」デカすぎで絶対種類間違ってておもしろかった(新潮文庫の新しい完訳の下巻でご確認をば)。
現実がつらい時は、本を読んで気をそらせる、お馴染みの作戦。
生活がちゃんと続けれる経済維持可能派は、おとなしく家で日々をやり過ごす。