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どんどんづくし

オリンピックまであと1週間だって。さすがにドタバタがすぎる。ため息をつこうとして息を吸ったはいいけど吐くとき出たのは乾いた笑い声だった(ごめんごめん)。一体どこから間違えたのだろう。もし、時間を戻して間違ったところを直していいよって言われたらどこまで戻ればいいのだろう。

わたしは1964年9月30日の朝に生まれた。

そう、前回の東京オリンピックの頃だ。生まれたばかりの私を連れて母が退院したとき、10月10日のオリンピックの開会式は目前だった。母は中学生の時、バレー部だったからわたしにおっぱいを飲ませながら白黒テレビで東洋の魔女を見たそうだ。出た、東洋の魔女。そういう話を繰り返し聞いたので、このたびの東京オリンピックが決まった時は、妙な感慨があった。嬉しいというのではなく、なんか、年とったぜ、俺も、ふっ。みたいな感じ。

あのオリンピックから56年。世界がこんな風になるなんて、誰も予想していなかったんだろうなあ。もちろん便利になったことはたくさんある。今の世の中に生まれてよかったと思えることもたくさんあるけど、未だに戦争紛争はなくならず、意見の違う人同士の争いはつきない。日本では若者の自殺は多く、気候変動で自然災害で、パンデミックときている。子どもや若者が幸せに暮らせない社会にどんな未来があるというのか。社会がどんどん成熟するとともに人類にはどんどん智恵がついてどんどん幸せになる、というどんどんづくしになるかと思っていたんだけど。

人類って進化しないのかな。ウイルスはどんどん進化しているようだけれどね。たまに賢い人がいてもその知恵が受け継がれない。社会全体の智恵の蓄積みたいなのないのかね。同じ過ちはしたらだめだと思うんだわ。まじで。

という、人生幸朗師匠(古い)のぼやきみたいな文章になりました。失敬。




一週間に一度くらいの頻度で記事をアップできればと思っています。どうぞよろしくお願いします。