その問いを無視するのか|240719
引き寄せの法則ってあると思う。きっと意識の問題。妊娠したら急に、街ですれ違う女性がつけているマタニティマークや赤ちゃんに気づくようになる現象と同じ。
家族ってなんだろう。幸せってなんだろう。わたしはどう生きていくのがいいんだろう。
一人になると瞬間に浮かんでくる問いを、わたしは今また洗面所に座り込んで考えている。ドライヤーで髪を乾かしながら。きっと答えを出さなくても生きていける問い。答えを探さないほうが生きやすい問い。
リビングで遊ぶ子どもたちの声が聞こえる。一緒にシャワーを浴びて、先に行っていてねと伝えてある。そのままスマホを開いたら、XのDMで友人から久しぶりに連絡がきているのを見つけた。ここ数週間何かを考え迷っている様子があったから、どうしているのかな、話したいなと思っていた。
「1年と少し、ずっと悩んでおり、今もまだこの年齢で怖いな、とも思うのですが、多分そうすると思います」
彼女のメッセージを読んで、深いところで「ああ…」って息をついた。多分そうすると思います。それは静かに悟る感覚。わたしにもある。心に浮かんでいるものを見つめればすでに答えは出ていて、それを受け入れるかどうかだけなのかもしれない。傍から見たら「急にどうしたの」と思われるようなことかもしれないけれど、一時の感情に振り回されているのではなくて、ずっとずっと考えて、辿り着いた結論なんだよね。
「なんとなく違う」という感覚は、見ないふりをすれば生きていける。そのほうがラクだと思う。夫がいたほうが、絶対にラクだし「普通」の暮らしを送れるんだと思う。
収入が安定する。わたしも仕事ができる。子どもたちを安心して任せられて、そのあいだに今みたいに心置きなく髪を乾かすことができる。病気になった上の子だけを連れて急患に行ける。自分が発熱したとき「今日は保育園の送り迎えお願い」と伝えればそのまま横になっていられる。子どもが危険なことをしたとき、わたしと一緒に叱ってくれる。
わたしのためにも、子どもたちのためにも、いいことなんじゃないか? わたしがこのちっぽけな「問い」を飲み込めば、この先ずっと何十年も、家族として平和に穏やかに暮らしていける。
このあいだ夫がわたしに伝えたかったのはそういうことなんだろうと思う。俺は家族のことを考えている。子どもたちが育つ環境を何よりも大事にしているし、まりこのやりたいことも可能な範囲で叶えようとしている。自分が少しくらい我慢しても家族としての責任を果たすべきだと思う。それなのにまりこはいつも自分が中心にあるよね、それが理解できない、と。
でも、浮かんでしまった問いを無視することができない。今のわたしには。無視しようとすると、こうやって引き寄せの法則で、気づかされてしまう。簡単に振り出しに戻る。
やっぱり冷静に捉えるためには、環境を変えるしかないよねと思う。瀬戸内で1か月過ごしたら、何か見えるんだろうか。それとも問いごと忘れるんだろうか。
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2024夏 vol.1
等身大のわたしを記します。どんな言葉が出るかわかりませんが、よろしければご購読ください。文章または音声、心に余裕があれば両方かもしれません。
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