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ウクライナ時代のクリミアとオデッサの旅 2012年

2012年の夏、ジョージア(当時グルジア)のバツミからキエフ経由でクリミアのシンフェロポリへ飛んだ。本当は、バツミから船で黒海を優雅に移動したかったのだが、船のスケジュールが合わずに断念し、空路での移動となった。シンフェロポリは中継地点で、すぐにフェオドシアという街に向かった。当時のクリミアはまだウクライナ。私が訪れて1年半後くらいにロシアに併合された。

*写真はプリントをスマホで撮影したもので、クオリティが低いですがご了承ください。

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フェオドシアのビーチへ続くマーケット。宿泊する場所など、全くノープランだった。看板はキリル文字でよくわからないし、英語を話す人もほとんどいなく、たまたま入った食堂で、自分の知り合いが英語を話すからと電話をかけてくれて、いろいろと助けてもらった。街の人たちは言葉が通じなくともとにかく世話を焼いてくれてとても優しかった。

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フェオドシアのビーチは、現地の人には有名な観光地だったようで、このときにはたくさんの観光客が訪れていた。ただ、この観光客たちはロシアから列車に乗ってくる人たちであるのことだった。ロシアのお金を持っている人たちが、夏のバカンスに訪れるのだそう。

現地のウクライナ人は、観光客がお金を落としてくれることはありがたいけれど、ロシア人たち相手で商売が成り立っていることについては、複雑な思いを持っている様子だった。

私はビーチに行ったのではなくて、googleマップを見てみると、クリミアからウクライナの本土(?)に細い道が繋がっているのが気になり、そこを突破できるのかどうかを試したい、という動機だった。ぱっと見たところは、本土まで100キロくらいか。暇なバックパッカーが考えるアホな計画。(この時は社会人だったので、暇でもなかったんだけど、バックパッカー気質というのは一生抜けないんだと思う……)

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もちろん、何も計画していない。すべて行ってみて、どうにかなるのかやってみる。

この時は、車と運転手をチャーターすることができたので、とりあえず行ってみることにした。

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ひたすらこんな感じ。
片側が湖(Syvash lake 腐海)、片側がアゾフ海。

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↓動画、音が大きいので注意



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普通の車だったので、陸が微妙に沈んでいるところは強行できず。でも、あの細い道をみて感じることができたので大満足。

おそらく四駆なら突破できるのかと思うけど、クリミアがロシアに併合されたので、この細い道もロシア側とウクライナ側に分断されたようで、googleマップには国境線が引かれています。(2022年2月現在)

その後は、シンフェロポリに戻り、オデッサへ。急ぎの旅だったので、ひとつの街での滞在は短め。

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オデッサのマーケット。マーケット大好き。

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オデッサで撮影をする、カップルとカメラマン。
私もウェディングフォトグラファーなので、こういう景色で撮影できたら、楽しいだろうなぁなんて思ったり。

ここからはウクライナのねこさんいぬさんたち!
ねこ天国だったなぁ。

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日々の暮らしの中にもいろんなことがあるけれど、買い物して、ご飯を食べて、猫や友達と遊んで、そんなささやかなことが、ある日突然ひっくりかえってしまう。日本では災害がそうだったりする。

また、自由に旅ができる日が待ち遠しい。
今日より良い明日、明日より良い未来になりますように。












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