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名作『七年目の浮気』の字幕ミスに思った「映画という文化をもっと大切に!」

#ビリー・ワイルダー

#淀川長治

#オードリー・ヘップバーン

#黒人差別


【正しい直訳だけどワカッテない】

 波打ちぎわ、熱い砂の上の熱いラブシーン。美女は水着姿。男は、街中ではちょっとお目にかかれないような軽装です。
 それは不倫の恋でした。
 情熱的な抱擁のさなかに、女性は胸のうちを言葉にします。
 そのセリフが日本語字幕ではこうなっていました。
「あなたを愛するわ。ここから永遠に」
 そんなにおかしいセリフではありませんが、「今から永遠に」と言ったほうがすんなりと自然に感じられる。そう思われた方は少なくないでしょう。
 英語(この作品はアメリカ映画です)のヒヤリングが全然得意ではない私ですが、このとき女性が「from here to eternity」と言っていたのはハッキリと聞き取れました。ですから字幕は直訳としてはまったく正しい。
 しかし、つい先日、DVDで『七年目の浮気』(一九五五年)のこの字幕を読んだ私は思いました。
(あーあ、分かってないなあ!)と。


【きっと元ネタがあるぞ!】

 このDVDは20世紀 フォックス エンターテインメント ジャパン から二〇一〇年に発売されたものです。つい先日、メルカリで購入しました。
 一九五九年生まれの私がこの映画を最初に観たのは、高校生のときです。   16ミリ映画専門の上映施設(なぜか「映画館」とは称していませんでした。別にそう言っても良いんですけどね)で鑑賞しました。施設の固有名詞を言うと「新宿アートヴィレッジ」です。
 VHSやベータの家庭用ビデオ(というのもすっかり過去の家電になってしまいましたが)が普及していなかった当時、古い名画が観たい人たちは、こうした施設に通っていたのです。
 そのときの字幕はこうでした。
「あなたを愛するわ。『地上(ここ)より永遠(とわ)に』」(正確にいうとマルカッコは使われず、漢字にルビがふられていました。この点は下の記述も同様です)
 これを聞いたワカッテいる他の観客たちは、反射的に「アハハ」と笑いました。私は全然ワカッテいない小僧だったのですが、『』でくくられているのは、何かの題名で、この場面はそのパロディなんだろうな、ということぐらいはピンときました。


【真珠湾攻撃を描いた名画を観て納得】

 大学生になってから名画座で『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(一九五三年)を観た私は、最初は『七年目の浮気』のことはすっかり忘れていたのですが、浜辺のラブシーンが映し出されると、「ああ、あのときのあの場面はコレのパロディだったのか」と膝を打ちました。
 これも良い映画でした。舞台はハワイの米軍ホノルル基地で、時代は一九四一年。クライマックスは真珠湾攻撃なのですが、日本軍を悪玉として描いているわけではない(だから良いなんて言っているわけじゃないですよ、もちろん)。軍隊内の苛酷な人間関係(今ふうにいえば日常的な凄まじいパワハラ)を冷徹なタッチで描いています。
 パワハラの犠牲となるのがフランク・シナトラとモンゴメリー・クリフト。クリフトはこの作品に限らず常に陰翳(いんえい)をたたえた表情に魅力のある美男子です。『陽のあたる場所』(一九五一年)が有名ですね。もちろん原題の『A  Place  In The Sun』に出損ねてしまう役でした(殺人罪で死刑になります)。今、こんなタイプの俳優はちょっといないなあ。
 ホノルル基地の人間性ゆたかで包容力のある曹長がバート・ランカスター。階級のわりに貫禄はあり過ぎるくらいでした。そんな人が無能な上官の妻と不倫関係に落ちるあたりに、単純な善人像にははめ込まないリアルさがあります。お相手役はデボラ・カー(『王様と私』が有名ですね)。この人は夫に愛想づかししてしまったため、隊内の男たちを、とっかえひっかえして浮気を重ねていたのです。


【モンローが生放送で全米にセクハラを暴露!?】

 『七年目の浮気』は、マリリン・モンローのスカートが、地下鉄の通風孔から噴き上がる風でまくれ上がるシーンがあまりにも有名ですが(この場面についてはまた別の機会にnoteに書きますね)、『地上(ここ)より永遠(とわ)に』のパロディ場面があったり、モンローが全米ネットのテレビの生放送中に、主人公の中年男から受けたセクハラを暴露したり、実にいろいろな場面がめまぐるしく移り変わって描かれています。
 なぜかと言うと、主人公の空想癖が強過ぎる(それはしばしば妄想に走りさえします)からで、作中それらはコミカルなシークエンス(一連の場面)として映し出されていました。ですから、浜辺のラブシーンも、モンローの告発シーンも、実はその中の出来事だったわけです。
『七年目の浮気』の監督はビリー・ワイルダー。脚本家でもあります。彼はすべての監督作のシナリオを自ら書いていた人です(常に共同執筆者がいました)。


【轟々(ごうごう)の非難を浴びた爆笑喜劇】

 ワイルダーのファンであったイラストレーターの和田誠さんは、酔っ払ったときに「おれのベストワン映画は『ねえ、キスしてよ!』だ」と口走ったそうです。つまり、シラフのときにベストワンとして語ったりはしない作品ということですね。これはワイルダー映画です。
 ワイルダー自身は『ねえ、キスしてよ!』について、「世界中にあるフィルムを焼却してしまいたい」と述べています。自己採点としては痛恨の失敗作ということですね。
 私の感想を言えば、めちゃくちゃにおもしろい映画です。こんなに思いっきり爆笑できるのは、ワイルダー作品の中でも数えるくらいでしょう(『七年目の浮気』は爆笑させるタイプの映画ではありません)。
 なぜおもしろいのかと言えば、ギャグの秀逸さはもちろん、物語自体のある意味トンデモなさにあります。どうトンデモないかと言うと、公開当時キリスト教団体から強い抗議を受け、少なからぬ批評家たちもその不道徳性を激しく非難した、という事実からお察しください。
 この作品の主演は当初ピーター・セラーズ(『ピンクパンサー』シリーズが有名ですね)がキャスティングされていたのですが、セラーズが心臓疾患を発症したため、テレビドラマの『ブラボー火星人』に主演していたレイ・ウォルストンが彼に代りました。ワイルダーはウォルストンの演技に不満だったみたいです。
 私は四半世紀近く、セラーズ主演でこの作品が完成していたら、どんなに凄い映画になっただろう、とうっとり夢想していたのですが、一九九九年に刊行されたワイルダーのインタビュー集(邦訳は二〇〇一年刊)によると、意外や意外、セラーズだったらウォルストンより明らかにもっとダメだったみたい。
 なぜかと言えば、この作品の主人公はアメリカ西部(ネヴァダかその隣りの州)のちっぽけな田舎町のピアノ教師なのですが、セラーズは由緒(ゆいしょ)正しいキングズ・イングリッシュしか話せなかったからです。うーん、なるほど。


【日本語字幕に舌打ちした私】

 『ねえ、キスしてよ!』の物語終盤で、ピアノ教師の美人妻ゼルダが、いかがわしい酒場で酔いつぶれ、住人(酒場勤めの売春婦)が不在のトレーラーハウスに運び込まれます。
 ベッドの上で眠りに落ちていたゼルダは、ふと人の気配を感じて目ざめ、緊張して声を発します。
「誰?」
 ハウスに現れた男は、おどけ気味の声で「Lone Ranger」と答えるのですが、私がもっているVHSビデオの字幕はこうなっていました。
「孤独な森林警備隊さ」
 男の顔を見たゼルダの表情に驚きと喜びが表れ、思わず声を上げます。
「ディノ!」
 男は全米で知らない人はいない人気歌手でした。ゼルダは高校時代から彼の大ファンだったのです。
 ディノを演じていたのは、実際に世界じゅうにその名を知られていた歌手で俳優のディーン・マーチンです。ほぼ本人役(as himself)に近いキャラクターの描き方…なのですが、そう言いきってしまうと、ちょっと差しさわりがある。なぜかと言えば、この映画が根本的に不道徳だからで…そのあたりのことは本編をご覧ください。
 それはともかく「孤独な森林警備隊さ」という字幕を読んだ私は舌打ちしました。これじゃダメじゃん、と思って。


【日本でも大人気だった西部劇ヒーロー】

 ここのLone Rangerは普通名詞ではなく、固有名詞で、テレビドラマの覆面ヒーローの名であり、彼が主人公の西部劇『ローン・レンジャー』のタイトルだったからです。
 ドラマを観ていた方は、私のようにかなりの年輩になると思いますが、その主題曲に聞きおぼえのない人は、まずいないと言って良いでしょう。ロッシーニの『ウィリアム・テル序曲』がそのまま使われていたからです(この曲は、のちにフジテレビの『オレたちひょうきん族』でもオープニング・テーマに使われましたね)。
 アメリカで『ローン・レンジャー』のテレビドラマ放映が開始されたのは、一九四九年。日本では一九五八年九月~一九六二年十二月まで放映されました(その間に放映局は変わっています)。ちなみに『ローン・レンジャー』の後番組が、国産テレビアニメ第一作といわれている(実際は違うのですが)かの『鉄腕アトム』です。
 私は『ローン・レンジャー』をリアルタイムで観たおぼえはないのですが(『鉄腕アトム』第一話を観たことは記憶しており、そのとき私は三歳でした)、小学生だった一九六〇年代後半に、再放送でよく観ていました。
 主人公が愛馬の名を叫ぶ「ハイヨー、シルバー!」というかけ声も印象的でしたが、主人公以上に魅力的だったのが、相棒役のインディアン(アメリカ先住民)のトントでした。彼の決めゼリフ「白人嘘つく、インディアン嘘つかない」は日本でも流行語になりました。


【時代の流れ、世代の移り変わりにため息】

 なお、この西部劇のオリジナルは一九三三年放送開始のラジオドラマでした。五回にわたり映画化もされており、最近作の二〇一三年版では、トント役をジョニー・デップ(!)が演じていました。これは彼の俳優歴の中でも悪評の多かった役どころとなりましたが、デップの個性を考えれば、そのこともひとつの勲章のようなものだと、私は思います。
 アニメ化もされていて、日本では一九六七年八月から一年にわたり放映されていました。時期といい時間帯といい、私はまさにリアルタイムの世代だったはずなのですが、アニメ版を観た記憶はまったくありません。なぜだ、自分でも分からん。
 というわけで、『ねえ、キスしてよ!』のディノは、美人妻ゼルダに向かって、サッソウと現れるヒーローを気取っていたのですね。
 ちなみに私が観たVHSビデオは、一九九〇年にワーナー・ホームビデオから発売されたものです。
 私はこのワイルダー喜劇を、高校時代から二十代半ばまでに、あちこちの名画座で十回以上観ているのですが、そのときの字幕は、ちゃんとローン・レンジャーと固有名詞をカタカナ表記していました。すべて一九六四年の日本公開時(その後リバイバルはありませんでした)のフィルムでの上映でした。
 この映画のVHSビデオが発売された一九九〇年に私は三十歳。いい大人の年齢なのですが、精神的にも自覚的にもまだ若造でした。ですから「もう『ローン・レンジャー』を知らない世代が日本語字幕の仕事をする時代になったのか」という、微妙な感情が湧き、ため息をついたことをおぼえています。
 

【やはり字幕担当の人には気づいて欲しかった】

 意訳をも交えて字幕を書く人は、その言語に堪能(かんのう・表記は同じですが「たんのう」と読むのは誤用です)なだけでなく、その国や文化圏のカルチャーに広く通じている人なのでしょう。これはもちろん、皮肉ではまったくありません。
 それでも世代によって時代的記憶や知識・経験が異なるのは、あたり前のことでしょう。
 私だって映画の中の(広義の)引用に気づかないことは、いくらでもあるに違いありません。
『スイング・ジャーナル』編集長だった久保田二郎さん(一九二六~一九九五)は、ワイルダー喜劇『お熱いのがお好き』(一九五九年、やはりヒロインはマリリン・モンローでした)のそれがすべて分かるのは「僕しかいない」という意味のことを著書で述べておられます。
 しかし、「ここから永遠に」にしろ「孤独な森林警備隊」にしろ、ささいなものですが不自然さのある、疑問符が浮かんでおかしくないセリフです。       業界で仕事をしている人なら、「これ、どういうことですか?」と年配の人に訊いてみて欲しかった、と、わがままなワイルダー・ファンの私は思います。とくに前者のDVDの場合は、そうするまでもなく、すでにインターネットの時代なのですから、原語を検索すれば分かったことなのに。


【映画は文化として「格下」扱いされているのでは】

 引用元のことや、その他作中のワードの意味が分かると、益々おもしろく楽しめるのは、もちろん映画に限ったことではありません。ダンテの『神曲』も大デュマの『ダルタニャン物語』もスタンダールの『パルムの僧院』もディケンズの『荒涼館』も、膨大な註釈があるから心ゆくまで楽しめる。それがなかったら読んでいてもしょっちゅう「?」と感じて物語に集中できないくらいです。
 翻訳者の方々は、よくもまあここまで調べられたものだと、毎度のことながら感心してしまいます。詳細なだけでなく、それらのポイントを的確簡潔にまとめられているのもお見事。
 映画の草創期だったサイレント時代(日本では「活動写真」と呼ばれていました)、映画は、文化として、文学や演劇よりも明らかにずっと下に見られていました。
 しかしおよそ百年を経た二一世紀の今もなお、映画はやはり文化として格下の扱いを受け、大切にされていないのではないでしょうか。そう思われてなりません。
 小説の場合、上記のような古典的名作はもちろん、比較的に言えば新しいジャンルであるミステリだって、新訳が出版される場合、翻訳者が旧訳を通読したうえで仕事をするのは、ごくあたり前のことです(『神曲』は正確に言うと小説ではなく長編叙事詩ですが)。


【字幕も過去の仕事を参照して取り組むべき】

 同様に、映画字幕の場合も、ソフト化やテレビ放映、ネット配信のために新たな訳文を起こす場合、日本初公開時の字幕は読んでおくべきだと思います。
 付け加えると、観客が読むスピードの問題で、どうしても大意を要約しなければならない字幕よりも、地上波テレビの日本語吹き替え版のほうが、原文により忠実なことが多い。これも要チェック資料ですね。
 そのほかにも複数の字幕バージョンが存在するならば、それらも参照できたならばもっと良い。
 もちろん、そうしたことは、字幕担当者個人の努力でできることではありません。関係者が、業界が、映画を文化として愛し、尊重する志をもって取り組み、当然のこととしてシステム化すべきだと、私は思います。


【映画作品の「註」を集めたレファレンス本刊行を望む】

 もちろん、日本人が外国映画を見るうえで「知っておいたほうがおもしろくなる」のは、「以前の映画からの引用」に限ったことではありません。
例えばワイルダー映画の『昼下りの情事』(一九五七年)で、ヒロイン役のオードリー・ヘップバーンが、世界的プレイボーイの大実業家(ゲーリー・クーパー)に恋をすると、アンクレットを着け始めます。これは、アンクレットで足首を飾ることが「私は恋愛を自由に楽しんでいる女性です」というアピールになったからなのですが、こんなことは、いちいち字幕に書き込んではいられませんよね。
 ネットが発達している今、ウィキペディアには、個々の作品について一項目(ワンテーマ)でまとめられている映画がたくさんあります。その数には一九五〇年代生まれの私など、たまげてしまうほどです。だって、こんなコト、紙の百科事典では考えられなかったもの。
 そのほとんどが、紙媒体で出た映画ガイド(キネマ旬報社の『アメリカ映画作品全集』とか『ヨーロッパ映画作品全集』とか双葉十三郎さんの『ぼくの採点表』〈トパーズプレス/キネマ旬報社刊〉)よりも、記述がずっと詳しい。ストーリーについても、キャストやスタッフについても。
 しかし、さらに詳しくなるともっと良い、と思います。小説本と同様に作品のセリフや設定や時代背景などについての註釈を充実させて。「衆知を集めている」ウィキならば不可能なことではないでしょう。
 さらにさらに、私の希望を述べるならば、そうした註釈を集めたものは、レファレンス(参照)本として紙で刊行されたら、なお良いと思います。
 理由の第一は、広義の映画関係者にとっても一般観衆(視聴者)にとっても、個々の映画をさらに深く理解するための基礎資料となるからです。第二は、ウィキペディアとは異なり、「誰が」記述したか文責が明らかになるからで、それはウィキに優る記述の正確性を担保することだと思います。第三は、少なくとも私の場合、そんな本が書棚にあると楽しいもの。


【「ありゃま」と思った『いつも心に太陽を2』】

 字幕が「引用」を欠いていたために「ありゃま」と思った映画は、ワイルダー作品に限ったことではありません。もちろん。
『いつも心に太陽を2』(原題To Sir, With Love2/一九九六年)は、正確に言うとテレビドラマで劇場用映画ではないのですが、大ヒットした映画『いつも心に太陽を』(原題To Sir, With Love/一九六七年)の続編です。
『2』の監督はピーター・ボグダノヴィッチ。『ペーパー・ムーン』(一九七三年)などで知られる名匠ですから、前作より格上の監督と言ってよいと思います。
 物語は、ともに高校教師がクラスや生徒が抱えるさまざまな問題に取り組むというものです。『2』の教師は前作と同一人物という設定で、どちらも黒人俳優のシドニー・ポワチエが演じています。前作では青年教師だったのが、『2』では初老になっています。あたり前ですね。ただし、前作の舞台はロンドンだったのですが、『2』ではシカゴの高校で教えます。なぜ渡米したのか、その理由は分かりません(後述する理由で私が忘れただけかも知れません)。


【黒人差別問題を描いたポワチエ主演映画】

 シドニー・ポワチエは、『野のユリ』(一九六三年)でアカデミー主演男優賞を受賞した名優です。これは黒人として初の主演賞獲得でした。このときポワチエは、スピーチでこう述べています。
「この賞を私ひとりで貰ったとは思っていない。これまで努力した何百人もの黒人映画人の努力が実ったものだと思っている」と。
 ポワチエの代表作には、ほかに、手錠でつながれた白人と黒人の脱走犯の逃避行を描いた『手錠のままの脱獄』(一九五八年)、黒人に偏見をもつ白人刑事が、黒人刑事と捜査を行なううちに、友情と敬意をもつようになる『夜の大走査線』(一九六七年)、人種差別と闘ってきた新聞社経営者が、娘が結婚相手として連れてきた青年医師が黒人と知って困惑し葛藤する『招かれざる客』(一九六七年)があります。
 この時代の映画で、今日も語り継がれている、黒人差別問題を正面から取り上げた作品の主演は、まさにポワチエひとりの独擅場といった観があります。
 しかし、当時の先鋭的な黒人運動家たちは、ポワチエの主演作品や演技に共感できず、むしろ反発したのですが、この点についての記述は割愛します。


【ポワチエの出世作『暴力教室』】

『いつも心に太陽を2』は良い作品だったのですが、日本で劇場公開もソフト化もされていません。私はこれを、深夜のテレビ放映で観ました。吹き替えではなく字幕スーパーでした。
 その中で、教頭みたいな立場(このへんの記憶は曖昧です)の教師が、ポワチエが担任のクラスの荒れっぷりを嘆くセリフがありました。
 その日本語字幕を私はハッキリとおぼえています。それはこうでした。
「まるで無法地帯だ!」
 ここの「無法地帯」という言葉は意訳で、セリフでは明瞭に「Blackboard Jungle」と言っていました。前後の英語表現で何と言っていたか、正確なことはおぼえていません。
 この字幕を読んだ私は、やはり思いました(あーあ、分かってないなあ!)と。
 ポワチエのドラマでBlackboard Jungleといったら、彼の出世作である映画のタイトル(邦題『暴力教室』一九五五年)に決ってるじゃん! と思ったからでした。
 これは『いつも心に太陽を2』より四十一年前、私も生まれる前の映画です。
 原題や邦題のとおり、高校の凄まじく荒れた教室を描いた作品なのですが、生徒たちの暴走・無軌道ぶりには、二〇二二年の今観ても、かなりショッキングなものがあります(冒頭に字幕があり、「このような暴力少年たちが発生したのは、第二次大戦の影響である」という意味の説明がなされます)。公開当時は、全米の教育団体やPTAが上映禁止運動を起こしたほどでしたが、そのためにかえって大ヒットを記録し、のちの世に語り継がれる作品となりました。
 とにかく、『いつも心に太陽を』1、2の教室のモンダイぶりなんか、のどかでヌルク見えるくらいだもの。
『1』も『2』も、生徒たちは結局みんないいやつで、ポワチエの教師に心開いて、原題どおり「愛をこめて」感謝するわけですが、『暴力教室』の不良生徒グループのボスは最後まで改心しません。
 その凶暴ぶりたるや、凄いの何の。もちろん、製作年度がこの時代ですから、暴力描写などに限界はあるのですが、迫力満点の演技に、それをカヴァーしてあまりあるものがありました。このボスを演じていたのが、のちのテレビドラマ『コンバット!』にサンダース軍曹役で主演するビック・モローでした。『コンバット!』は、第二次大戦中のフランスにおける、ノルマンディーから上陸した米兵たちの戦闘を描いた作品です。
『暴力教室』でポワチエは、不良グループのひとりではあるのですが、根はマジメで頭も良い、という、キャラの立った生徒役を演じています。
 公開当時の映画評で、双葉十三郎さんは、まったくの新人たちと言ってよいモローとポワチエの演技を高く評価しておられます。主役である教師(グレン・フォード)の演技については何も言及されていないのに。
 これはのちに大きく開花するポワチエの知性、モローのワイルドさ、という本質を活かした見事な配役だった、と私も思います。


【淀川長治が語った『ローマの休日』の秘められた意味】

 こういった、引用をも含めた蘊蓄(うんちく)を知らなくても、映画(やドラマ)は、もちろん楽しめます。
 しかし、知っていたならば、映画(やドラマ)はもっとおもしろいものになると思います。
 高校大学時代の私がまさにそう感じたように。
 かの淀川長治さんは、テレビやラジオ、文章でそうした映画についての蘊蓄(うんちく)を短い言葉で簡潔に表現されていました。
 例えば『ローマの休日』(一九五三年)について『日曜洋画劇場』で解説したときは、こんなふうに。
「この映画の原題は、Roman Holidayですね。この『Roman』という言葉には、古代ローマ文化の退廃的な、といった意味があるんですよ。そんなタイトルで、こんなきれいなきれいな、でもやっぱりドキドキするお話を描いたところに、何とも知れない、おもしろさがありますね」


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