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これからのオーヴェルシュルオワーズ(前編)

メロンパンを食すとその土地のことが大体は分かる。という話をしながら
先日ある女の子と道を歩いていると、ちょうどパン屋さんがあったので
思わず買って食べたら何だかまだ小麦粉ぽくて、焼き上がってないようで、

「ここのメロンパンはまだメロンパンになっていない」とつい言ったら
「これからのメロンパンなんです」と彼女に言われて、可笑しくなって、

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              ヴァン・ゴッホの遺作「カラスのいる麦畑」

二人で食べ歩きしたまま大笑いしながら緩やかな坂道を登っていったら
坂の上からこの絵のような風景が大きく広がって見えました。それで、

小林秀雄が「近代絵画」で、壁にかかったこの絵を見て「寧ろ破壊している」と書いてたのを、せっかく人生かけて創造したのに..とちょっと笑えてきてしまって、ゴッホのために心でつっこんだ時のことを思い出しました。
彼女が笑って言った「これからのメロンパン」と「寧ろ破壊している」は
真逆だと感じました。そしてちょうど対になっているような気がしました。

このゴッホの絵はまだまだ歩いていかなくてはならない気がして来る上に、歩いて行っても行き着く先にはカラスしかいない絶望感まで漂うのですが、

君の名は。3

フレーム、構図的にはほぼ同じ「君の名は」のこの絵は、上から目線で視点が違うせいか、坂の上、階段の上の雲はもう掴めそうで、既にこれからの未来を感じられるような気がしてきます。構成の要素は違いますが、何が決定的に違うといえば、色彩で言えば赤の有無、赤の象徴するのは女性です。

ゴッホの「カラスのいる麦畑」とゴーギャンの遺作の「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」も、構図は「君の名は」の上の絵と大体同じ。地平線があって背景に地上と空を描いている。色使いもかなり似通っています。メインの色は青と黄色。緑と茶、土の色、自然の色が少し。やはり違うのは赤色のこと。赤になり切れていない錆びたような茶色。

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                          ゴーギャンの遺作
       「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

絵の構成は小説でいえば三幕構成かのよう。色彩はメイン三色、青と黄色と錆びれた赤色。青色は仏像、真ん中に「黄色いキリスト」に似た人物が、暗い赤色の服を着た二人の女性を、つまり黄色が青と赤色を分断しています。

小林秀雄が「近代絵画」でこの絵を「ファウスト的」と書いていました。
ゲーテは「ファウスト」で円環時間をうたっています。円環時間とは東洋世界、輪廻する仏教的な時間のこと。青色の仏像は円環時間を指しています。暗い赤色をして寄り添う女性達との間で、「黄色いキリスト」かのような直線的な人物像が、世界を分断しています。まるで時間を止めるかのように。

前者はゲーテが「ファウスト」でいう円環時間の象徴に思えますが、寄り添う二人の女性は何を象徴しているのでしょうか。この絵を90度回転して、この黄色い人物を地平線、二つの世界の境界ラインと捉えて見てみましょう。

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思ったことをここで書きませんが、マクロン大統領のポリネシアでの活動を見てゆきたいと思いました。インドを旅した時に、こういう悲観的な形相の女性連れを時折見かけました。目を見開いた哀しげな表情で互いにただ寄り添う姿です。他にも見たことがあります。南米出身の女性の表情にでした。

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ただ、英仏国の首相が現在必死でやっていることを、日本文化はすでに手にしているようにも思えます。それはゲーテの色彩論でいうところの赤色のこと。たとえば日本アニメでは、セーラームーンの胸のリボン、千と千尋のヘアゴム、魔女宅のキキも崖の上のポニョも、赤のリボンと赤色の服でした。







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