Accepting
私の生き方を見て、
こうしなさい
こうなりなさい
もっとこうなりなさい
そうでなきゃ ダメよ
と言ってくる人が必ずいる。
これまでも、そしてこの先もきっと。
その人たちは、「今」の私を見て、
ダメだと思っている。
私がこれまでどれほど努力して、ここまで上り詰めたのか、何も知らない。
どれほど日々、悩み、考え、こんな自分を持て余し、振り回され、それでも頑張って、最善の力を振り絞って立ち、前へ進んで行こうとしているか、何も知らない。
それなのに、すべてわかったふうな口をきき、何でも見透かしているかのように軽々しく批判を口にして、自分の思い通りの人間に私を変えようとしてくる。
そんな人たちは、まるで自分にとてつもない自信があるようで、
まるで自分が一番正しいかのように断定的で、
ステレオタイプの理想像を掲げ、こうなりなさいと要求する。
私の言う通りにしなさい。
そうすれば幸せになれるから。
私の言う通りになりなさい。
そうすればあなたは今よりよくなれるから。
そう、きっと彼らの言うことは正しいのだろう。
その通りにすれば、きっといい人生を生きられるのだろう。
だけど、ひとつだけ、彼らが間違っていることがある。
それは、彼らの言うことには、彼らの要求していることには、
人の感情というものが、これっぽっちも配慮されていないということだ。
人の気持ちというものに、これっぽっちも配慮していないということだ。
ねえ、私は人間なんだ。機械じゃない。
嫌なものは嫌、嫌いなことは嫌い。
できないことはできない。したいと思わないことはしたくない。
彼らはきっと正しくて、自信があって、成功した人生を送っている人たちだろう。
そしてきっと、いや、決まって必ず、問題を抱えた人たちだろう。
本当に満ち足りて、幸せな人たちは、無理矢理誰かを変えようとは絶対にしない。
人にはそれぞれの事情があるということを、ちゃんとわかっているから。そして人の人生にあれこれと指図するのは、図々しいことだとちゃんとわかっているから。
わかっていてもできないことがあるのを、ちゃんとわかってくれる。そして、そんなことすべてひっくるめたのがその人なんだと、認めてくれて、見守ってくれるから。
私にこうしなさい、こうなりなさい、と無思慮に命令してくる人の言うことは聞かなくていい。
私の生き方は私が決める。
それがたとえ、どうしようもなく間違いだらけで、無駄の多い、損ばかりするような人生だろうと。
私はそんなふうにしか生きられない人間なんだ。
これが私なんだ。
彼らのコントロールで彼らのいいように動く操り人形じゃない。
私はずっとそんなふうにされて生きてきた。
何もわからない私は、彼らの言う通りに生きなければ「ダメ」だと、彼らの言うままを信じて、彼らの要求通りに生きなければと思ってきた。
そのコントロールから自分を解き放とうと思った時、
自分も同じことを人にしていたことがわかった。
それをするのを私はやめる、と声に出して言った。
そうしたら、最終確認するかのように、あれこれと命令してくる人が現れた。
どれだけ嫌な気持ちになるか、改めて感じることができた。
人を、そのままの状態で、認め、受け入れられるようになろうと思う。
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