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swing

気持ちがどこか一方に大きく振れると、

そのあと決まって、すぐに、真逆へ勢いよく振れる。

まるで最初感じた思いが、ただの気まぐれの、その時だけの気分での思いつきだったみたいに。

あっちかと思ったらすぐ次の瞬間には正反対のことを思ってる。言ってる。

だけど最初の思いは嘘じゃない。

でもその逆に振れた時のそれも嘘じゃない。

どっちつかずの、気分屋さん?

だけど、無理矢理ブランコを一方の方に思い切り引っ張ったら、あとはその反対側にも大きく戻るのは当たり前。

なら、無理矢理気持ちを引き上げたの?

それとも、何かの力によって引っ張られたの?

そのどちらでもない。

これは私の、思い方の癖。

大きく振れないと、そこに気持ちがあることに気づけない。

びっくりするくらい高く上がらないと、それが本当の気持ちなんだと思えない。

だから、ほんの少しのきっかけで、すぐに大きく揺らしてしまう。

風になびいただけでふわりと浮いてしまうほど、密度の薄い、重さのない心。

自分の気持ちに自信のない心。

自分自身を決められない心。

振り上げたその半分の高さでいいのに、もっと少なくてもいいくらいの出来事なのに、

それに自分はその出来事を眺めているだけでもいいのに、

できるとこまで高く上げて、さらに自分までそのブランコに乗ってしまう。

高く上がった時は気持ちいい。

確信みたいなものを感じる。揺るぎないもの。強い気持ち。晴れ晴れとした空に舞い上がり、そうか、なんて自分に言ってみたりする。

だけどそれはブランコのせい。

頂点にいられるのはそんなに長い時間じゃない。

あの時の、高揚感にも似た、満たされたような、ホントの答えを見つけたような、そんな嬉しさはどこへやら。

自分でも意図せずに、コントロールもできないままに、不思議なほど呆気なく、いつに間にか、

正反対の気持ちの中にいるのに気づく。

最初の気持ちをもうすっかり忘れてしまったかのように、

真逆の重くて暗くて、締めつけられるような、苦しくて、痛みにも似た思いの中にどっぷりと浸ってる。

ちょっとした嫌なことがきっかけの時もある。

もしくは、どこまでも執拗で、悪魔のように抜け目なくて、頑固で、しぶとくて、意地悪な、

「ホントに?」という思い。

「あなた、それでホントに大丈夫?」

「こんなことやあんなことがあるかもしれないよ」

私はその悪魔の囁きに負けてしまう。

高みにいた時の、自信も、確信も、嬉しさも、すべて嘘のように感じる。

すべて勘違いだったように思う。

だけど、少しすると、その濁った思いの空気の中から再び出ている。

努力して抜け出したんじゃない。いつの間にか、出ている。

濁った思いを抱いていた自分を反省したりする。

その時に言った言葉や、したことを、後悔したりする。

なんて自分は酷い人間なんだ、とまで思ったりする。

気分はまた、最初に上がった方向へと揺れている。

だけど、もう一番最初の時ほどの、強い感情はない。

それより少し穏やかな、「理性的な」感じでいる。

しばらくそこにいて、ホッとする。

やっぱりこれが私なんだ、なんて思ったりする。

だけど、やがてそのフェイズも過ぎ、また逆のことを思い始める。

また暗雲が立ち込め始める。

反対のことを言う囁きが始まる。

「でも」

という、頑固な、意地悪な声。

だけど今度は、最初に逆に振れた時よりも、振り回されずにいる。

もっと、「理性的」に考えている。

もう、再び大きく振れることはない。

まるで大きく揺れたブランコが、少しずつ揺れ幅を少なくしながら、やがて真ん中で止まるように、両極を行きつ戻りつしながら、本来の私に戻っていく。

これが私の考え方の癖。

私の感情はブランコ。

ひとつの方向へ大きく揺れると、その位置には長く留まっていられず、今度はその分、大きく逆へと揺れる。

真ん中へ戻る頃には、後悔するようなことを、ひとつふたつ、している。

誰かを傷つけたりしているかもしれない。

誰かに嫌われるようなことをしたかもしれない。

過去にあった嫌なことばかりを思い出し、すべてを否定しまっていたかもしれない。

そして、後になって後悔する。

そして、気持ちの定まらない自分を、もてあます。

どこへもいけずにいる。

何もできずにいる。

また、大きく揺れることを恐れるから。

今はこうだけど、またあの囁きが戻ってくるんじゃないかと不安になるから。

中心にいる時の私は穏やかでいられる。

昔よりも、些細なことで大きく振れなくなった。

だけどまだ大きく振れてしまうことがある。

誰かを好きになった時の感情。

まだ私を大きく振り回す。

昔に比べればまだマシになったけれど。

昔は、急な下り坂を、悲鳴を上げながら、なんのコントロールもできずに、滑り落ちる感覚。

誰かを好きになると、そんな夢をいつも見ていた。

その夢は次第に変わっていった。

坂道は緩やかになり、私は自分でハンドルを切り、自分の足でこぎ、ゆっくりと進めるようになっていった。

だけどまだ私の思いの癖は、完全には無くなっていないようだ。

最初に振れることがなければ、逆に大きく振れ戻ることもない。

なら、いつでもどんな時でも、何があってもなくても、真ん中を保てばいい。

誰かの存在によって、私の気分を、私の気持ちを、私の心を、振り回されないように、

自分の中心を重くしておく。

誰かのせいで、風に揺れる凧みたいに、気分はふらふらと揺れたりしないようにする。

誰かのせいで、何かのせいで、私の気持ちは左右されない。

なぜなら私は自分の気持ちを知っているから。

誰かに、何かに、私の気分の良し悪しを委ねたりしない。

なぜなら、それらは私の外側の世界で起こる出来事に過ぎないから。

誰かによって、何かによって、私の心はボールみたいにコロコロと動かされない。

なぜなら、私の心は重みがあって、私以外の人は簡単に動かすことができないから。

ブランコに乗ってもいいよ。

だけどジェットコースターのようなスリルのあるものじゃない。

春の日の公園で、のんびりと気持ちよく揺れているような、

そんな気分の変化。

どんなにいいことがあろうとも。

どんなに嬉しいことが起ころうとも。

ブランコは空高くまで上がったりしない。

空高くまで上がったら、必ず逆へふり戻ることを知っているから。

のんびりゆったり揺れている。

ゆっくりと、地面に足をつけながら。

それが、幸せというもの。

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