閑花風(かんくわふう)

世阿弥が書いた九位という書物の中に、
閑花風(かんくわふう)という節があります。

「雪を銀垸裏に積みて、白光清浄なる現色、まことに柔和なる見姿、閑花風といふべきか。」

閑とはみやびやかな事を意味するそうですが、銀のお椀に雪が積もっているその色の風景は、とてもやさしく柔らかい。。。世阿弥はこの世界観を閑花風と書きました。


私は子どものころから、感性が渋いとか、おばあちゃんのようだとか、和風だとか、そんなことをよく言われていました。少し前には、生地屋の展示会に行った同僚がもらってきた風呂敷をもてあまし、私なら使うだろうと3人が渡してきたことも。

確かに私は日本人だし、和食、和菓子が大好き。髪を上げるときは簪をさし、お寺でぼーっとすることも好きで、服を買うのもアメ村より京都が好きでした。

でもだからといって、日本の色といえば赤、生地ならちりめん、というお土産屋さんのような単純なイメージを持たれることに何故か強い違和感を覚え、その理由を探し続けていました。

その答えを見つけたのはNYのメトロポリタン美術館に行ったときのこと。
世界各国、何世紀も昔の展示物に触れながら流れにそって立ち寄ったエリアで、私は「日本」を見つけたのです。

その場所に一歩足を踏み入れた時、一瞬にして私は静けさに包まれました。左右には少し低めの位置に展示物が置かれ、その一つ一つの間には絶妙な余白がありました。そして、まるで定規で図ったかのように真っ直ぐに規則正しく並べられている絵。気のせいか澄んだ空気が流れているように感じ、自然と姿勢まで真っ直ぐになっていました。そんな空間に、私は「これだ」と思いました。私が好きな日本は、その空間を作り出している精神にあると気づいたのです。


それから私は日本の精神について学ぼうと思い、手っ取り早く芸術の精神論を調べることにしました。すぐに閃いたのが、「わびさび」だったからです。


続きは、また。

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