わび・さび・幽玄―「日本的なるもの」への道程

前回の続き。


私はメトロポリタン美術館で出会った日本の精神についてもっと知りたくなり、『わび・さび・幽玄-「日本的なるもの」への道程』を図書館で借りてきました。

この本には、日本の美意識を学ぶうえで最初の一歩になることがたくさん書かれていました。

私の実家には、父が書いた藤原定家の歌「見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮」があるのですが、この本を読み、これが無一物の美=わびであることもこの本で知りました。
父はこの歌を、段ボールに和紙を貼った自作のキャンバスに書いたのですが、もともと経済的な余裕など皆無だった会社員時代からリタイア後、年金暮らしになりさらに充分ではない時を過ごす中で、それでも夫婦で一緒に食事を作り、時々散歩し、ベランダの植物を育て、会社員時代のストレスもなくなり、気持ちのうえではきっと幸せを感じて暇つぶしに書いたのだろうなと思いました。
初めは父が書いたその字を見るたびに哀れな気持ちを抱いていたのですが、今では、父は決して哀れではないと思っています。


さて戻りますが、こんな風にこの本には、それまでなんとなく感覚で知っているつもりだったわびさびの正しい意味がきちんとした言葉で書かれていて、気になる部分は当時の日記に書き写すほど読むのが楽しかった記憶があります。


そして何より、私はこの本の中で、世阿弥に出会います。
わび、さびに比べて書かれている量が圧倒的に少なかった「幽玄」。
それが逆に興味を駆り立て、世阿弥の能楽論を読めば幽玄について知ることができると書かれていたので、今度は世阿弥の本を読み始めることにしました。

まずは、基本、風姿花伝です。


続く。

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