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KANくんのこと

KANくんがいなくなった。

風のような人だった。
人と人の間を音楽と人柄とダジャレで繋ぎ、とどまることはなく捕まえようとしたらスルリとすり抜けてまた違うところへ行く。

こんな感じで36年間。
ニコニコ笑っている裏で、すべてを完璧に準備し、決してその裏側を見せない人だったこと。
彼を好きな人ならみんな知っている。

それくらいエンターテインメントにこだわっていた人、それがKANという人だった。

病気を公表してからも、コンスタントにSNSを更新し、グルメの彼らしく美味しいものや今まで食べたことがなかったもの、それをこだわりの写真と共に挙げてみんなを楽しませてくれたいた。

KANくんの写真の趣味はコニカのビックミニから始まったと記憶している。
音楽以外の趣味がないから、写真を撮ることにする。と言って始めたんじゃなかったっけ。
でも、一度やったらこだわるKANくんらしく、ずっと写真を撮り続けていたね。
わたしは何を撮ってもちいさなユーモアが感じられるKANくんの写真が大好きだった。

そんなKANくんがいなくなってしまいました。

亡くなったことが報じられてから、本当にたくさんの人が彼の音楽や人柄を愛していたということがわかった。
わたしはもうかれこれ33年くらいファンなのだけど、まさかこんなにたくさんの人が、自分とKANくんとのことをSNSに綴るとは思っていなくて、それは実際に彼と面識がある人だけではなく、「実は聴いてました」とか「ラジオが好きでした」とかいう、わたしの身近な人もいる。
正直言って「みんな今までどこに隠れていたの!」というくらいです。

とても誇らしいです。
これまでずっと、なぜ世間はKANという人の才能に気がつかないのか、あんなにすごい人は他にはいないのに!と思っていたから、こうしてみんながKANくんのことを絶賛してくれているのが嬉しくてたまらない。
ずっとこんな日が来るのを待っていた。
でも、こんなに誇らしいのに、KANくんはもういないんです。

KANくんが亡くなってから、ずーっと歌を聴き続けていて気づいたことがある。
KANくんは、本当にいろんな歌の中で「人生」や「運命」を歌っていたんだということ。

そうか。
KANくんはこれまでずっと、最後の日をイメージして生きていたのか。
最後の日がいつになるのか、それを知っていたかはわからないけれど、でもいつか来るその日を納得して迎えることができるように、きちんと整えて準備していたのか。

これに気がついたとき、わたしはまた改めてKANという人を尊敬せずにはいられなかった。
KANくんは本当に最後の最後まで「KAN」だったんだ。
めちゃくちゃかっこいいよ。
高校生のわたしは当時ずーっと「結婚するなら、KANくんがいい!」と豪語していたけど、本当にあの頃からKANくんはいちばんかっこいい!
こんなふうに自分の人生をプロデュースして終えていく人、後にも先にもKANくんしかいないと思います。

大好きな大好きなKANくん。
わたしの人生に道標をありがとう。
33年間、常に追い続けたファンではなかったけど、いつも心の片隅にはKANくんがくれたものがありました。

ユーモアを持って生きること。
何事も丁寧に取り組むこと。
綿密に準備をすること。
そして、自分の人生を受け入れること。
これらは、KANくんの姿を見て学びました。

新しいKANくんにはもう会えないけど、こうして振り返ると、自分を形作っているたくさんのことやものには、多くのKANエッセンスが散りばめられていることがわかりました。

ありがとう、KANくん。
今まで一度も話しかけたことはなかったけど、今度会った時は勇気を出して話してみます。
その時は、わたしと友達になってください。

では、股。

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