見出し画像

これからの10年へ

2012年4月12日は私が住む岩手県遠野市に初めて降り立った日で、ここに来て、あれから今日で10年が経過したのか...と、ひとり庭に咲く黄色い水仙の群生や太陽の日差しを感じながらエモーショナルな気持ちになりました。

10年前は北東北に足を踏み入れた事もなく、新花巻駅にATMが無いことは想定外でお金を下ろせずパニックになり、乗り継ぎ2-3時間待つことに衝撃を受けました。喧騒とは真逆の静かな時の流れに妙にソワソワしたことが思い出されます。

新しい季節の始まり・新天地、というと花咲き乱れる鮮やかな情景を想像しやすいですが、釜石線の窓から見えた景色は雪解け真っ最中の茶色い山々や田畑で「こんな淋しい景色の先に私はどんな場所に乗せられていくのか...?」と電車が進むにつれて不安になった記憶が。

電車が徐々に減速して見えてくる『宮守駅』のホーム上に、上下ベージュの作業着を来た受け入れ先の役場の方々(分所の宮守総合支所)が手を振って待っていてくださったのが、今に続く遠野の人との出会いのはじまりです。

細かく振り返れば色々あるのでこの記事ではできるだけシンプルに『これからの10年へ』はじまり的なものを書けたらと思います。

二元論と仮想敵からの卒業

思い返せば長らく二元論的な世界観に苦しめられていたなぁと思います。10年前は東日本大震災直後だった事もあり、東北の沿岸地域には地震によって明らかになった社会課題を何とかしようと沢山の社会起業家が生まれたのはご存知の方も多いかと。そもそも"地方創生"が溢れだした頃かなとも記憶していて、地方・都市の関係性という議論が活発になった頃かなと。

ちょっと時代が遡りますが、私は11歳の時にいじめられ中学を退学・転校をした経験があります。そこでの集団圧力対個人、みたいなものが割と強い原体験として根付いていて、これが良くも悪くも私の人生とともに一緒に育ってきたなぁという感じがしてなりません。

背反する二つの原理。自らが信じる正義を貫く為に相反する物に戦いにいく様な姿勢。戦うことで自らを鼓舞する様なモチベートの仕方は物凄いエネルギーを生み出しつつも、圧倒的な力や不条理さに傷つき、消耗していくしんどさや重さに沈み行く様な時もありました。

先にあげた、地方と都市も、そして女も男も、国家と個人も、今であればウクライナとロシアも。あたりを見渡せば何かと何かをぶつけ合う様な構造ばかり...。今思うと自らそういう二元論世界に飛び込んでは精神的に焼け死ぬ様なところもあったかと思います。

あくまでも私の皮膚感覚からのお話ですが、そういった対立構造発想では世の中は溝が深まるばかりだなぁと、自らの姿勢を通じても思うことが多くなりました。あと、こんなんじゃ体持たねぇ...というのがシンプルに。

カオスと共に進んでいく

そんな感覚から少しずつ卒業するに至ったきっかけは、スナックを営んだ事だったかなと思います。

まずは同じ空間で立場の違う者同士が会話して存在を認め合う。もうワンステップ進めば、それぞれの未来がより良いものになる様に持ち寄れる力の範囲で協力し合うという、書くと凄くシンプルなプロセスを、スナックという場を通じて学ばせてもらった様な気がします。

『遠野出身者も移住者も外国人も旅人も裕福な人も貧しい人も老若男女も、なんだか色々いっぱいいるけど、さあ皆さん1日1日楽しんで生きていこう〜、困ったら助けるし、怒る事あったらそりゃ怒るけど許し合う事もするよ〜!』的な世界観、包摂スナック。

(※ここでのポイントは認め合う事であり、それは協調ではないという事です)

こういった感覚を実践の中で養えたことはとても大きなことでした。仕事や役に育てられる、という事が好きですがまさにソレ。

これからの10年はこういう感覚と共に優しく強く生きていきたいなと、今日を迎えて改めて思いました。

さて、ここからはこれから大事にしていきたい事に少し触れて終わろうと思いますが、未来に対して言語化する精度は低いタイプなので割と感情面の話を稚拙な文章でしか書きませんので、これまで見てくださった方はここで退場していただいても結構です。笑 

むしろ私の個人的なアニバーサリー投稿をフォローくださってありがとうございます〜!!!

言葉にならない皮膚感覚でもっと生きていく

よく就活とかしてたの?!と驚かれるのですが実は過去に少しだけした経験を持つ私は、とある企業のエントリーシートを書く際に『中長期的なビジョンを書いてください』というお題に苦戦しました。

ぐぬぬ...未来のイメージは降りてくる...ただし明文化できない。

人生そんなことばかりでした。確実に未来へ約束できる事は自分の皮膚感覚『たぶんこっち』くらいなもんで、いまだに3年後とか分からない35歳を生きています。予測が出来ない以上は『たぶんこっち』に対しては真剣に向き合って生きていこうと思います。

曖昧なものに無理に白黒つけない

あともう一つ最近大事にしようと思っている事があります。矛盾しますが根がせっかちなおっとり屋なので結構心の納得感とは別に事を前に進めたくて物事に白黒つけたくなる瞬間があるんです。でも、そういうのももう出来るだけ辞めようと思ってます。白黒つくときは自然のままにつくから、その時を待とうという感じでデーンと構えて生きていこうと思います。物事が自然のままに流れ着く事を待つ忍耐力とも言い換えられるのかもですね。(きっとこれは子育てをされている方々がお子さんの成長を見守る時に実践されている事かもしれませんね)

立場の違う人の事について知る・眼差しを向ける

先に書いた『カオスと共に生きていく』を実行していく際にとても重要になる事・問いがあります。

経験が積み上がり、それなりに生き方にこなれてくると自分のご機嫌をとれるようになるので『満たされて生きる』という事が自らにも訪れているのでは?...とハタと気づく時があります。

こういう時についつい自分だけが幸せである事に否定から入りそうになるのですが。自らの幸せに関してはちゃんと賞賛をしつつ、一方で同時に立場の違う人はどんな状況下にあるのか?という視座は持ち続けたいなと思います。

自らが安心して暮らせている事を下支えしてくれて人・行いは何だろうか?その人達にとっての脅威や危機は何だろうか...?

自分の幸せが独立して存在しているものと思い込みすぎず、立場の違う人のことを知り続ける視点というのは忘れずに持っていたいなと思います。

親に美味いものを定期的に送る

実はここ最近の自分にとっては最も大事な奉納および儀式で。笑 上記したことと重なるのですが、私は異常に反抗期が長かった為、今になって本当に親にごめんなさい・そしてありがとうという気持ちが募るばかりで...最近両親に隔月で三陸の美味しい物を送っています。笑

遠野にきて10年、沢山の人との出会いがあった一方で、お世話になった人との沢山のお別れがありました。同世代の多い東京では感じられなかった、死別という感覚。あの時一言感謝を伝えられていれば...なんて事を言う時には既に遅いので、大切な人と今一緒に居られる時間を大事にして生きていきたいなと思います。

遠野満10年のアニバーサリーイヤーとなる今年は、過ごしたこれまでの時間を丁寧に振り返りながら、次の10年の架け橋になる様な歩み方ができたらと思います。遠野という場所を通じて縁ができた人や経験、これまで多くの人にかけていただいた愛情に、心からありがとうございます、これからもどうぞよろしくお願いします。

my new visual

20220227_まりさん 88

これからの10年の世界観を表現する写真を撮影してもらいました

photo by :Asami Izuka

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?