自分がやりたいことがわからないとき
これってあとから次第にわかってくるような気がします。なんとなくでも行動していくうちに。点と点がつながって・・・、というようなことをいいますよね。
結局、常識とか、まわりから変だと思われないように行動しなきゃという思いが強すぎると、本来の自分の望みが隠れてみえなくなる。
自分が投影したものを見てしまって、そこに反応して行動してしまうので、その下にある生命の動きを感じることができにくくなる。
非二元で個の私はいないとは言っても、現象としては現れていて、これは植物や動物たちが生きているのと同じことですよね。
では、どうやってその生命を達成していくのか、と言ったときに、たとえば花を見てわかるように、生命のエネルギーが花を見事に咲かせて終わらせていく。
私たちもそれと同じで、本来発揮させたい力を秘めているわけです。
そこに耳を澄ませると、方向性のようなものが感じられるかもしれません。こんな感じとか、身体の微細な反応とか。自分の傾向性とか。
いつも無意識のうちにやってしまっていること。自分ではこれじゃ稼げないしつまらないなんて思ってること。そういうところにもヒントがありそうです。
思考が邪魔をするんですよね。
この意味でも、自分がやりたいことを探すことに集中するよりも、もっと広く見て人生の課題をクリアにしていくプロセスで、投影がうすくなっていくうちに、自分がやりたいことの方向性が見えてくるということはあるように思います。
思わぬ副産物みたいなかたちで。
気になることがあればやってみて、違ったら修正や方向転換をしていく、壁にぶつかったら、そこから新たなヒントが出たりする。
プロセスを生きながら、ある地点まで来た時に、ああそうか!みたいなことがあるように思います。
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