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何かが足りないと思うとき その原因はモノにではなく自分にある

今日、名前を変更しました。

心のミニマリスト Marigold です。あらためまして、どうぞよろしくお願いいたします。

Marigold は、前から使っていたんですが、心のミニマリストというキャッチフレーズは、今日ピンときたので、これだと思って使うことにしました。

この10月から、2日に1回ほど、セッションをするようになり、来てくださるクライエントさんの傾向と、私自身が進みたい方向性が少し見えてくるようになったところがあります。

私がするセッションの方法は以前と変わらないのですが、その中でも、どういう方々を対象にするのか、とか、どういう方々が私のところに関心を持ってきてくださるのか、何となくですが掴めたところがあって。かつ、私もそこをやりたいと思っている地点みたいなところですね。

少し前に、空っぽにすることが私の仕事という note を書きましたが、やっぱりあの辺りだなと改めて思っています。

エネルギーを十分に取り込むためには、その土壌であるところの芝生をきれいにまず刈る必要があります。

芝生の芝は、思考や感情にあたります。

エネルギーの取り込み口にスペースを作って入りやすくする。

ここをきれいスッキリさせる、つまり、思考や感情の解放をする。

これは、瞑想でやっていることと働きや目的は同じです。やり方が違う。どっちがいいとかいうのではなく、両方やるとよりいいのかなと思います。相乗効果というのがあるように思います。また好き嫌いもありますよね。

ACRはセラピストが関わってきますが、やはり直接体験なんですね。そこは瞑想と同じです。瞑想を長年続けているけど、なんとなく変わらないなと思っている方がおられたら、ACRを試されるのはいいと思います。

例えば、モノをなかなか捨てられないとか、執着している人やモノを手放せない場合、芝にあたる部分を刈ることで、行動が早まることがあります。

実は、数日前にセッションをした方が、「つまる」みたいな表現を何度もされていたんですが、その辺を見ていったんです。その方が話している内容は、片付けなどに関することでは全くなかったのですが。

翌日、その方からメールが来て、断捨離がしたくなって久々に大量にモノを捨てたとおっしゃっていました。断捨離をした理由が、セッションをしたから、というのは必ずしも言えないですが、こういうことはよくあります。

おもしろいです。


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