見出し画像

地下鉄の彼

御堂筋線の車両の扉が開いて、たくさんの顔がホームに立つ私の方へと向かってくる。今まで会ったことのない人々の顔。でもどこかで見たような顔。顔、顔、顔。

昨年亡くなった義弟のことをふと思い出した。義「弟」とはいえ、私よりずっと年上だった彼は、十数年を癌と生きて亡くなった。最初の数年は何度も手術を受け、癌と闘い、再発してからは癌と共に生きることを選んだ。それでも亡くなる半年ほど前まで、緩やかに、でも確実に衰える身体でも、仕事に遊びにと忙しい日々を生きた人だった。

その彼が70歳になって、地下鉄の敬老パスが使えるようになると、「得やなあ」と「使わな損や」と喜んだ様子で、地下鉄で仕事に通うようになった。車や自転車でのツーリングが好きで、片道7kmを毎日自転車で通っていたのだが。彼と地下鉄がうまく頭の中で結び付かず、不思議に感じた。そのことをふと思い出したのだ。

思い出して、そして、「ああ」と理解した。今更理解した。その頃彼はきっともう、自転車で仕事に通うことが辛かったのだろう。不安であったのかもしれない。でも、それを表立って認めることは、もっと辛かったのではないか。そんな彼のもとに、救いのように転がり込んできたのが「敬老パス」だったのだろう。そのことに、3年近くも経ってから、彼が亡くなって1年半も経ってから、気がつくなんて。

本当のことをいうと私は彼が苦手だった。ものごとの捉え方、考え方、大切だと信じること等々がことごとく違っていて、話をするのに、その差異を、埋められぬ溝をあらわにせぬようにと気を遣うのが、なんとも面倒だったし、疲れもした。けして「悪い人」ではなかったのだけれど。どういうわけか、彼の方は私のことを随分と気に入ってくれていたのがまた、彼と過ごす時間の疲労を倍増させてもいた。

敬老パスを手に入れた彼と、一度だけ地下鉄に一緒に乗ったことがある。妹と3人で昼食を食べての帰り道、これからちょっと仕事場に用事があるから、そこまで一緒に行こうと彼が言った。いつものように、さて、何をどう話せばいいのか、相槌をいかに曖昧に打てばいいのか、どう当たり障りなくやり過ごそうかと、そんなことばかりで頭がいっぱいの私に、義弟は、妹を頼むと言った。隣に座った私の方ではなく、まっすぐ前を見たまま、窓越しの闇に映る自分の顔を見つめたまま、あの子は夢ばかり見ているから、夢見る夢子ちゃんやから、現実的でしっかりしたあんたが支えてやって、頼むわな、と。闇に浮かぶ義弟の顔を、私もまた見つめつつ、「はい」と答えた。

もうすぐ義弟が亡くなって2回目の盂蘭盆会が巡ってくる。