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Beuys+Palermo 国立国際美術館

Osaka / Italia / or... ?

美術展に一度足を踏み入れると2時間か3時間は出てこられないので、まずは腹ごしらえと近くのカフェに立ち寄った。急な階段を上がると、昼ご飯時には少し早かったからか、感染者数が再び増え始めたからか、それともオフィス街の日曜日だからか、随分と空いていた。迷わず、土佐堀川に面した席に腰掛ける。ラジオだろうか、イタリア語でDJが何やら喋っているなと思ったら、スティーヴ・ミラー・バンドのThe Jokerがかかった。川向こうの炉端焼きの店の、それこそ猫の額ほどの裏庭を白い猫が歩いているのや、筑前橋の下をつがいの鴨が通るのを眺めながら、懐かしい曲に耳を傾けながら、日本生まれの洋食のドリアを食べた。土佐堀川と、イタリア語と、70年代のアメリカン・ロックと、日本発祥のイタリア料理(?)と。一体自分がいつ、どこにいるのか、わからなくなってくる。

でも、ひょっとすると、イタリアのラジオでアメリカの「懐メロ」がかかるというのは、実はこの組み合わせの中では一番authenticなのかもしれない。これでイタリアの楽曲がかかると、それはそれでより一層「創り物」めいてくるような気もする。

Beuys

そんな、現実と創作の境目で腹を満たしてから、道をわたって国立国際美術館へ向かった。ヨーゼフ・ボイスは、もう15年以上前になるが、ロンドンのTate Modernで大きな回顧展があって、途中で胸が詰まって息ができなくなるような、見終わった後、館内のカフェでドイツの親友に長々と手紙を書かずにおられないような経験をしたことがある。今回は二人展だし、会場も規模も何もかも違いがあるので、ボイスよりは未だ見ぬブリンキー・パレルモの作品が目当てだった。しかし世界がパンデミックに突入してからほぼ2年、皆が外出を控え、外の世界へ触れる機会が減少し、人との対話や関わりが「オンライン」で「リモート」なものへと置き換わり続ける中、圧倒的な質量と存在感で個と「世界」のあり方を問うボイスの作品に手を伸ばせば届く距離で向き合えることの意味は、その場に立って初めて、腹の底に重く感じた。

たとえ、展示の規模は小さく、集められた作品群もややunderwhelmingなものも含まれていたとはいえ、Tateの回顧展をあとにした時と同じく、ああ、行ってよかったと、ため息をついた。芸術作品の意味は、鑑賞者と作品の間にその都度うまれるからだと思う。作品と、いつ何処で対峙し対話するか、その時私が作品に対して差し出す問いは何であるかが、私にとってのその作品の意味になるんだと思う。

だから「〜はもう見たからいいや」というのは当てはまらないのかもしれない。

ボイスが脂とフェルトの中に見出した「生」「生きること」は、その熱量は、やはりあの重さや密度が感じられる距離にあって初めて伝わるのではないかと思う。フェルトがみっちりと厚く積まれた小作品の中に、私も、私の生もまた挟まっているかのような気持ちになる。いつも、そっと鼻を近づけてみては、脂もフェルトも全く匂わないことを残念だなと思うのだけれど。どこかに虫食いの痕はないかと、探してもみるのだけれど。

だから、映像に残されたボイスの「アクション」作品は、私にはきっと理解できないのだろうとも思う。その場にいて、その場に生きて、その社会にあって初めて、ボイスがアクション(あるいはパフォーマンス?)で持って削り出そうとした「現実」が、引き剥がそうとした「表層」が、頭ではなく心で理解できるのだろうと思う。何度「映像」に残された「記録」を見ても、その場にいられなかったことの、肌で触れることのできないもどかしさだけが積もってゆく。

+ Palermo

それとは反対に、パレルモ作品の中では、サイト・スペシフィックなため写真とスケッチを通しての(ドキュメンテーションとしての)展示であった「壁画」作品が印象的だった。壁や出入り口にごくシンプルに惹かれた線がその空間の質を見事なまでに変化させる。自分が居る/在るその空間がまるごと「どこであるか」「何であるか」と問われるような体験は、どれほどパワフルであったかと、想像するしかないのが残念だった。それでも「もどかしさ」を感じないのは、ひょっとしたら私が空間を平面で表現し、平面から空間を組み立てていくことを生業としてきた(建築屋だ)からかもしれない。

Beuys + Palermo

もし、パンデミック下でなければ、土佐堀川を眺めつつイタリア語で紹介されたThe Jokerを聴きながらドリアを食べた後でなければ、ボイスもパレルモも、違って見えた、違って感じられた可能性は十分にある。

ボイスにもパレルモにも、あなたが見ている/と思っている世界は、あなたが「現実」だと信じて疑わないものは、本当に見えたままの現実なのか?と問われ続けたように思う。私たちが見逃している/私たちの目には見えない、世界の在り方を、まるでマジックのように、目の前に差し出してくれる。「オンライン」の世界の人々の背景の書き割りの、その向こうにあるものを見せてくれるような感じで。そうやって適宜取捨選択され、あるいは創られた書き割りを背負った人々が「リモート」に集う世界を(ヴァーチャルだ、メタヴァースだと)受け入れざるを得ない日々の中だからこそ、彼らの問いはより一層の力を持って、会場に鳴り響いていた。

そんなことを考えながら近くの駅まで歩いていると、たった今あとにしたばかりのボイス+パレルモ展の展示ガイドが落ちていた。大阪の真ん中の人気の消えたオフィス街の歩道に、ボイスとパレルモの名が。世界に、私が世界だと思う空間に、ぽつんと開いた扉のようだと思った。駅に着くと、真上にあるホテルは閉鎖中で、空港検疫後の隔離施設として利用されていますとの張り紙があった。ホテル/隔離施設/or…? 警備員らしき制服姿の男性がチラリとこちらを見た。

第二次世界大戦で瀕死の重傷を負い、そこから(脂とフェルトの助けを借りて)再起したボイスには、再生後の世界は以前とは異なった意味を持っていた。パンデミックが去った後、私が、私たちが見る/生きる世界もやはり2年前とは異なっているだろう。そこで、私たちは新しい世界に何を見出すのか、変わってしまった現実とどう向き合い、理解し、いかに語るのか。

もしボイスが存命ならば、彼はどんな作品を作るだろう。

ボイス+パレルモ