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オラデア日記 その壱

Oradeaは、ルーマニア語では「オラーダ」、英語では「オラーディア」、日本語では「オラデア」

2019年8月12日

初日。オラデアも雲ひとつない快晴、猛暑との予報。AともNとも別れて、ここからは一人旅だ。

建築的にいうと、後期バロックとセセッション派が華やかなオラデアは中欧が香る街だ。今のところ「コミュニスト」といった建物も見当たらない。市街地の観光の中心であるPiata Unirii(統一広場)からセセッション派/アールヌーボー建築の並ぶCalae Republicii(共和国通り)を進む。鐘楼の見事な教会があった。ルーマニアで初めて訪れるカトリック教会。足を踏み入れた途端、まるでよく見知った人物に再会したかのような気持ちになる。教会を後に、左へ折れて北上、ローマ・カトリック宮殿(改装中)の隣のカテドラルへ。こちらは絢爛豪華なバロック様式。

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Oradea is under constructionといった風で、どこもかしこも工事中だった。乾いた空気に土埃舞う裏道をぶらぶらと、これまた大改装中のPiata Regele Ferdinand (フェルナンド王広場)まで戻ってランチ。冷房の効いたホテルアストリア(アールヌーボー様式)のレストランの窓から、盛大に掘り返された広場を眺めつつパスタを食す。

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中心部を流れるCrisul Repedeの河岸も工事中。完成すれば岸まで降りられる遊歩道と広場になるようだ。最近整備されたばかりに見えるPiata Uniriiといい、そこに面して立つやはり最近改修されたセセッション派の商業建築 Palatul Vulturul Negru(黒鷲宮殿)といい、オラデア市が観光都市としての整備のための投資を惜しまぬ様子が目に見える。Piata Uniriiやトラムの駅など、良い感じに仕上がっている。

ただ、何とも街に活気がない。夏の盛りで地元の人々は避暑地へ向かい、観光のオフシーズンだと云うのもあるだろうけれど、それにしてもひっそりとしている。それだけではない、美しく蘇ったPalatul Vulturul Negruのアーケードも空き店舗だらけだ。目抜き通りのCalae Republiciiにも高級品店は見当たらない。レストランよりもカフェが目立つ。

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英語はあまり通じない。エアコンもブカレストほどは普及していない様子だ。それにしても暑い。身振り手振りで買ったレモネードを飲みながら、パラソルの下に並べられたテーブルで大阪の両親へ絵葉書を書く。グーグルマップで探し当てた郵便局でもやはり英語が通じない。身振り手振りの応酬ですったもんだした挙句、あとから入ってきたおじさんが見かねて別の部屋に引っ張って行ってくれた。どうやら私は私書箱利用者のためのカウンターで「絵葉書、日本まで、エアメールで」と粘っていたらしい。申し訳ないことをした。

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Piata Uniriiには、三方を囲んで、ルーマニア正教会、ローマ・カトリック、そしてギリシャ・カトリックの三つの教会が建っている。どれも西側に入口があるので、ギリシャ・カトリックの聖ニコライ堂は広場にお尻を向けた形で立っているし、ローマ・カトリック教会の聖ラディスラウス教会もそっぽを向くように広場に横顔を見せている。18世紀の都市計画と宗教的伝統のせめぎ合いが面白い。

みっつの教会の外観はどれもエレガントなバロック様式で、高い鐘楼に長い身廊がくっついた、いかにも「教会」なのだけれど、インテリは各宗派の特徴がよく出ていて興味深い。聖ラディラウス教会はもちろん祭壇(アルター)が前面にある。東方典礼カトリック教会である聖ニコライ堂には聖障(イコノスタシス)があり東方的だが、インテリアは午前中に訪れたカテドラルと似た見事なバロック様式だった。ルーマニア正教会のムーンチャーチ(月の教会)は壁面という壁面がフレスコで埋め尽くされ、見事なイコノスタシスを備えた正教会仕様。

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Calae Republiciiのような大通り以外はほぼ低層の建物が続く。通りに面した大扉の向こう側は中庭になっていて、いくつか覗いてみたところ、駐車スペースになっていたり、花や木が植えられたりしていた。ファサードは平屋でさえもペディメントやコーニスなどの装飾(バロックだもの!)が豊富なのが面白いと思った。

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それにしても暑い日だった。2時過ぎに一旦ホテルへ戻り、2時間ほど休んだ。シエスタ必須。

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