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JAPAN⇄CANADA 1-4

みんなに告げてからの部活は楽しくもあり、また切なくもありました。これが最後になって欲しくないという気持ちが日に日に募っていきました。部活では、顧問の先生を交えてミーティングを行い、私に接するときはどういう風にして欲しいかを話しました。やっぱり引越しが嫌だったし、部活の時にその事を考えたくなかったので、みんなには引越しをしない前提で関わって欲しいとお願いしました。みんなは私の気持ちを快く受け入れてくれて、今までと変わらず接してくれました。結局学校で引越しのことを告げたのは部内だけで、クラスの友達や他の先生には告げることがありませんでした。

7月のコンクールへ向けての練習も佳境入ったある日、みんなの気持ちが少しずつずれてきていることに気づいた先生は、昼休みの時間を使って全体ミーティングを開きました。いつものようなホワイトボードに向かうものではなく、部員全員で円になってひとりひとりの顔が見えるように座りました。先生は「みんなに今の気持ちを分けて欲しい」
と言いました。不安や、悩み、今まで抱え込んでた誰にも言ってないような内側に隠している気持ちを全員で共有して欲しかったのです。それぞれ溜め込んでいたものを1人ずつ順番で話し始めました。内容は様々でした。実はこの会で起きたこと、言ったことはその場に残して、部室を出たらもう話さないという決まりで共有しました。だからここにも具体的にみんなが何を話したかは書きません。ただ言えることは、「人間誰も完璧ではない」ということです。平然と毎日を過ごしているように見える人も必ず他の人にはなかなか打ち明けられないことがあるのです。そして仲のいい関係であってもそれをお互いに知らないまま過ごすことが割と当たり前にあるのです。だからこそ、この会は凄く心に響きました。

順番が回っていき、みんなが話をしていく内に、部員の中から涙を流す人が出てきました。自分の話をしながら想いが溢れ出し涙が出る人。その話を聴いて涙を流す人。様々でした。それは私も例外ではありませんでした。自分の順番が来る前に涙が出てきました。その時私が思っていたことはもちろん引越しのことでした。(今、これを書きながらでも涙が出るのを必死にこらえています。)みんなの想いを聴くうちに、このコンクール(自分の担当楽器であるクラリネット奏者として出ること)が最初で最後の場所かもしれない、と感じ始めました。そう思うとますます涙は止まらず、必死に泣き声を抑えることで精一杯でした。

とうとう自分の番が来ました。私は引越しのことを細かく話しました。いつ親に言われたか、この場に居なくなることへの不安や恐怖。引越し自体への恐怖。親に対してどう思っているのか。部員以外の人には引越しの話をしていないこと。これから部活でやりたいと思っている(いた)こと。とにかく溜め込んでいた気持ちを全て吐き出しました。涙で言葉が詰まりながら、精一杯その時話したことを覚えています。隣に座っていた先輩と同期に背中をさすられ、手を添えられなんとか話し終えることができました。1ヶ月後に居なくなる仲間が寄り添ってくれる、自分はなんて幸せで、なんて素敵な仲間に出会えたんだろうと思いました。しかし、それと同時に手を差し伸べてくれる友達を置いて私は誰も居ない所へ行くんだ、とも思いました。引越しの話を親から聞いて以来、沢山の感情が複雑に絡み合っていて、自分をコントロールすることが難しかっです。数分前には笑っていたのに突然泣き出したりもしてました。部員の仲間にごめんねと謝ると、溜め込む方が良くないからここでは自分の気持ちを素直に出していいよと言われました。救われました。ほんとに。

みんなが話し終わる頃にはすでに次の授業が始まっていました。顧問の先生は授業を受け持っていたので全員の話を聞き終わる前に部室を後にしました。先生は
「時間がかかってもいいから、授業に遅れてもいいから、みんながしっかり話し終わるまで続けていいよ」
と言い、授業に向かいました。私たちはその言葉通りに、時間を気にせず全員がスッキリするまで話しました。最後の1人が話し終わった後、部長が一言言ったことだけは覚えています。そのあと会が始まる前に全員で約束したようにこのことを話す者はいませんでした。泣き止んでから教室に向かうまで少し時間がかかりました。そのあと数学の授業に遅れて行きました。教室に入ると、担当の先生は笑顔で迎えてくれました。何を言おう、私が受けていた数学を担当していたのが顧問の先生だったのです。その優しい眼差しにまた泣きそうになりましたが、流石に教室で泣くといけないなと思いそこは堪えました。数学の授業は泣き疲れて眠かったです。けれど、先生に申し訳ない気持ちもあり、眠らないように必死に授業を受けました。この会でみんなの気持ちを共有したことで、部活に活気と今まで以上の強い絆のようなものが生まれたのは確かでした。

後日談ですが、顧問の先生のご厚意で、一部欠課になっていたその日の授業は部員全員もれなくフル出席に変更されていましたとさ。

-つづく-

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