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JAPAN⇄CANADA 1-2

カナダに住んでいたと書いたけれど、なぜ引越すことになったかはまだ説明していないので、そこから遡って書いていきたいと思います。

私はいわゆるハーフです。お母さんは日本人て、お父さんがカナダ人です。普段は2人のことをまみーとだでぃーと呼びます。英語圏では小さな子どもが親を呼ぶ時に使い、大きくなるとマム(mom)とダッド(dad)になるのですが、長い間まみーだでぃーと呼んでいたので、今でもそのままの呼び方です(記事では以降お母さんをまみーお父さんをだでぃーと書かせてもらいます)。だでぃーはやっぱりカナダ人なので、いつかカナダに戻って仕事がしたい、と考えていたようです。元々日本で10年暮らしてからカナダへ引越す計画だったようですが、私達きょうだいのことや住んでいたところ、周囲の人や居心地の良さなどで結局計画を15年に引き伸ばしたそうです。そして、家族5人でカナダに引越すことになったというわけです。もう8年も前のことなのに、引越すことを聞かされた日の朝のことは鮮明に覚えています。

2011年4月3日、在校(私の高校は2年生のことを在校と呼んでいました)に上がったばかりの春休みのことでした。部活に行くのにいつものように家を出ようとした時、珍しくまみーが玄関まで送りに来たのです。
「珍しいね、玄関まで来るなんて。」
こう声をかけた私に、まみーは
「たまにはいいやん、玄関でお見送りしても」
と答えました。お見送りしてるくせに、まみーの顔はなんだか哀しく見えました。今思えばきっとこの日の夜告げられる「引越し」というニュースのことを考えながら私を見送ったんだと思います。いつもと違うまみーの行動や表情に、私は頭にハテナを浮かべながら部活へ向かったのでした。けれど部活が終わる頃には朝の出来事もすっかり忘れ、意気揚々と家に帰りました。

家に帰ると、その日のことを話すのがいつもの流れなのですが、この日は違いました。だでぃーが私達きょうだい3人を呼び、リビングの床に座ったのです。え?だでぃーがリビングの床に座って話すなんて珍しいな。
そう思った時、朝の出来事を思い出しました。私はなんとなく嫌な予感がしました。けれどその後にくることを予測はできませんでした。
「We’re moving back to Canada(カナダに戻るよ)」
と告げられました。その瞬間頭が真っ白になったと同時に朝のまみーの行動に合点がいきました。ここからのことはあんまり覚えていません。とりあえず引越しの時期とどうして引越すのかを説明されたと思います。実は何度か引越しを告げられる夢を見たことがあったのですが、その夢が現実になるなんて想像もつきませんでした。そして現実になった瞬間、私は何も考えることができなくなるんだと思ったのを覚えています。自然と涙が流れました。この日の部活は、在校になって2日目の部活で、これから1年間通しての流れやみんなの目標について話し合ったばかりでした。話したことができなくなるのか。みんなにもう会えなくなるのか。高校も卒業できないのか。習い事もやめて、幼馴染とも過ごせなくなる。そう思いました。そして、なにより大好きな地元、家からいなくなることが辛かったです。だでぃーからの話が終わってからは誰とも話しませんでした。1人で、ぶつけるところの見失った感情と格闘しながら私は泣くことしかできませんでした。

-つづく-

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