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JAPAN⇄CANADA 1-10

引っ越し当日の朝はめちゃくちゃ早かったです。4時くらいには起きて準備しなきゃいけなかったように記憶しています。ご近所さんや親戚からもう使わないスーツケースを大量にもらい、とりあえず1ヶ月間問題なく過ごせるくらいの5人分の荷物を持ちました。残りの荷物は船便で送られます。28箱あったと思います。カナダでの住む家が決まってから送ってもらうようにお願いする手はずです。空港まではさよなら(またね)バーベキューを開催した幼馴染家族が送ってくれました。当日の朝家から出ると、前日遅くまで荷物整理のお手伝いをしてくれていたご近所さんをはじめ、家族ぐるみでお付き合いのある家族がたくさんお見送りに来ていました。内心、あーあ
と思いました。本当に引っ越しの日が来てしまったのですから。車に乗り込み、窓からみんなと住んでいたアパート、見慣れた景色を見ていく内ににみるみると喪失感が訪れました。朝早く静かだったこともあり、空気がいつもと違っていました。不思議な空気が漂っていました。(泣き)疲れていたこともあり、行きの車の中で寝てしまい、気づいたら空港に着いていました。荷物を降ろし、ゲートをくぐらなきゃいけない時間になるまで、一緒にお見送りに近所の幼馴染と話しました。何気ないこの時間ももうなくなる寂しさと変わらずいてくれる友達になんだか不思議な感じがしました。

この日、空港にお見送りに来てくれたのは近所の人だけではありませんでした。部活の仲間と顧問の先生も朝早いのに空港に来ていました。みんなの顔を見ると、嬉しさと寂しさで涙が溢れました。迷惑かけてばっかりだったのに、最後まで優しく接してくれたみんなには本当に感謝しかありません。私のわがままに付き合わせてしまって申し訳無かったなと今になると思います。一人一人に挨拶して、手紙も貰いました。最後にみんなにハグもして、私はゲートに向かいました。結局日本に残ることは叶いませんでしたが、みんなには絶対に帰ってくると約束をしました。1ヶ月後には帰ってくる!と根拠のない事まで言って出発しました。今考えると1ヶ月なんて無謀すぎる。なんで当時の私はそんなことを考えてたんだろう。今となっては、もう笑い話です。部活や近所のみんなにはさようならの代わりに行ってきますを言いました。引っ越してはしまうけれど、私にとっては故郷であり、帰ってこれる場所なのでまた会えるという願掛けとしてさようならを言うことはしませんでした。それに答えるようにみんなも行ってらっしゃいと声をかけてくれました。それだけでも心が救われました。私を待ってくれる人が海を渡ったその先にいるんだという安心感がありました。

(私は本当に幸せものだな。)

ゲートで筆箱にハサミが入っていることが発覚し、それを出さなきゃいけない凡ミス以外は割とスムーズに飛行機にのって最初の経由地に向かうことができました。5人での移動なので、極力安いルートで行きました。中国を経由して行ったのですが、空港での対応があまり良くなく、疲れも溜まっていたので、まみーとだでぃーは若干乗り換えのときにイライラしてましたが、私は知らぬ顔をしました。なんとか中国からカナダに向かう便に乗り込みました。そして飛行機が離陸しました。機内は夜を想定して、灯りが消えました。家族みんな眠りにつきましたが、私は眠れず映画をずっと見ていました。

ふと手を伸ばして来る人がいました。

だでぃーです。
だでぃーは私の方を見ました。驚きました。泣いていたのです。そして言いました。
「寂しいね。15年いたからね。自分も日本でできた友達と会えなくなるし、楽しかった思い出の事を考えると寂しくなるね。」

私もおさまっていた涙がまた出てきました。2人で静かに泣きました。

カナダに着いて、入国して、今度は国内線で親戚のいる所へ向かいます。お迎えには祖父母、叔父叔母、いとこたちがきていました。みんなの顔を見ると涙が出てきました。今までとは違う再会の仕方に悲しくなりました。2つ上のいとこの車に乗って祖父母の家に行きました。とりあえずは祖父母の家でお世話になることが決まっていたので、荷物を降ろして部屋に持って行きました。

私達家族は引っ越しをしましたが、家も仕事も学校もなにもまだ決まっていません。文字通り、0からのスタートでした。

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