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JAPAN⇄CANADA 1-9

とうとう引っ越しの前日がやってきました。ここまで来たらもう家族はドタバタです。荷物をまだすべてまとめていなかったので家族は急ピッチで荷物をまとめはじめました。私はまみーから
「どっちにしろここにはもう住めないから自分の荷物をまとめなさい」
と前々日に言われていました。私は夜中1人でこっそりと机周りの荷物を選別しながらダンボールへ詰めていきました。そして、家を出る覚悟で洋服を大きなカバンに詰めました。私の通っていた高校は秋休みがあったので、8月末は学校が普通にありました。朝学校へ行くときに一緒に必要最低限の洋服や下着などの荷物を持って出て行こうと玄関近くにカバンをまとめました。家出をしようと思ったのは後にも先にもこの1度きりだけでした。

朝学校へ行くために早く起きて朝ごはんを食べ、着替えて準備をしてきました。まみーは私を見て、
「早く起きるなんて、学校にでも行くの?」
と聞いてきました。私は
「授業あるし当たり前やん」
と顔も見ずに答えました。この時の私はまみーの「学校"に"でも」という言い方に相当腹が立ちました。もう会話はしたくないと思いました。黙って準備を終えて、学校の荷物と詰めた洋服を持って家を出ようとした時でした。まみーに
「今日は家に居なさい」
と言われました。でもそんなこと言われても残るわけありません。私は黙って玄関に向かいました。だけれどまみーも負けません。抱えていた私の荷物を取ろうとしました。私はそんなことをされるとは思ってもいなかったのですが、やっぱりどうしても学校に行って、みんなに会いたかったのです。息苦しい家から出たかったのです。荷物を振りほどき、力尽くで玄関を出ました。靴を手で持ち駅に向かって走りました。体力の続く限り走り続けました。後ろを振り返り追いかけていないことを確認してから、ようやく靴を履き、学校に行くために駅に向かいました。定期と必要最低限の荷物だけを持って学校に行きました。泣きそうになるのを必死に堪えました。

学校に着いてからは平常心を取り戻し、何もなかったかのように授業に出ました。教科書を家に置いてきたのでノートを必死に取ることしか出来ませんでした。前の晩、遅くまで起きて荷物をまとめていた割には目が冴えていました。なんの授業があったのかもう記憶にはないですが、なぜだか日本史の授業があったことだけは鮮明に覚えています。日本史が好きだからか、はたまた日本史だけ特別仲のいい子がいなかったからか。お昼ご飯は学食を食べました。普段はまみーがお弁当を作ってくれていましたが、当然この日作っていなかったので仕方がありません。たまに食堂も使っていましたが、そういう時は大体お昼ご飯代を貰っていたので、自分のお小遣いから出す学食が少しだけ変な感じでした。いつと決まったメンバーとお昼を食べていたので、この日もいつものように食堂で集まって何気ない会話を交わしながらご飯を食べました。そしていつもと変わらず部活の昼練へ向かいました。結局仲の良かった友達に引っ越しのことを私の口から告げることはありませんでした。本当に悪いことをしたなと思うけれど、当時の私は引っ越しのことを話して見送られることが嫌だったんです。

午後も普通に授業を受けて、放課後普通に部活へ行きました。私のあまりの普通さに、次の日が引っ越しだということを告げるとビックリした部員もいました。家にいなくて良かったのかと聞いた人もいたけれど、居たくなかったので素直にその事を答えました。私は大好きなクラリネットを一生懸命吹きました。上手くなりたい一身でずっと練習してきていたので今更その気持ちを変えることはできません。ただひたすらに吹き続けました。部活が終わっても家に帰りたくありませんでした。帰っても気まずくなるだけだということも考えていました。家がどういう状況なのかすら考えたくありませんでした。どうにか帰らずに済まないか考えました。みんなも私との最後になるだろう時間をもっと一緒に過ごしたいと言ってくれました。

とりあえず部員8人ほどで近くのファミレスに向かいました。みんなでご飯を食べてお話しして過ごしました。どういう流れになったのか全然覚えていないのですが、地元が一緒の部活の友達の電話でまみーと会話したのは覚えてします。
「近所のみんな荷物まとめるの手伝いよーとよ?みんな心配しよるよ。グランマ(おばあちゃん)も泣きながら心配しよる。」
って言われた記憶があります。
なんでグランマ?まみーは心配もなんもしとらんとか
と思いました。人のことばっかり話してまみー本人の気持ちは全然言ってくれませんでした。それがなんだかとても寂しかったです。何時まで居たかすら覚えていませんが相当長い間いたのだけは確かです。とうとう他のみんなが帰らないといけなくなったので、私も渋々帰りました。駅から家からは電話を貸してくれた友達のお母さんが車で送ってくれました。家についてもその友達と離れるのがとても嫌でした。最後の最後まで私はあがいていました。17歳の微妙な思春期の心には、引っ越しは大きすぎるダメージでした。近所のみんなも夜遅くまで私の家にいて、あんなに大勢の人に帰ってきてよかったと出迎えられたのは最初で最後です。私は終始泣きました。

家に入って頭の中が真っ白になりました。思い出の詰まった家はもうそこにはありませんでした。もうこの家に住むことは一生ないのです。ダンボールだけだ積み上がり何もなくなった空っぽの空間を見て涙するのでした。

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