現実と理想のギャップ

無意識に周りの人間の事を考える時がある。
この人にはこんな家族が居て。
こんな生き方をしてきて。
ふと、自分の事を考える。
誰かと一緒に暮らしているのを想像出来ない。
愛するパートナーが居て、自分に子どもが居る状態も。
中学生の時の恩師は自分にとって人生を救われたと言っても過言ではないくらい、偉大な存在だった。
その人は新婚だった。
たまに授業の雑談なんかで惚気のような話を聞いた。
素敵だと思った。
その人に子どもが出来た。
当時の自分はまだまだ未熟で、その人が幸せになってゆくのを心の底から喜べず、ただ自分の前からいずれ居なくなってしまうことにショックを受けてしまった。
やがて自分も中学校を卒業し、数年間は先生とやり取りをしていたのだが、この関係性は自分にとってやや苦い結末を迎えることになった。
恋が出来ないわけじゃない。
誰かの事を好きになれないわけじゃない。
ただ、今は誰かを欲してはいないだけ。
それ以上に、他人と関わることで傷付く事がきっと怖くて。
寂しくないわけじゃない。
空しくないわけじゃない。
でもひとりが嫌いでもない。


憧れている人たちがいる。
自分にとって、その人達は輝いているように見える。
とても美しいし、とても格好いい。そしてとても面白い。(とても重要だ)
遠くで見ていたいと思う一方、心の片隅には自分の存在を示したいといった欲求があるようにも思える。
遠くで輝いているあの人たちが自分の存在を知る事はきっと無いだろうが、もし万が一、知られてしまったらー
自分の目を見て、自分の名前を呼んでくれる。
そんな事を考える。
今の自分がそんな状況に置かれたら、まず間違いなく耐えられなくなるだろうが…。
いつかは耐えられるようになりたい。
どんな形でもいいから、ほんの少しだけファンとして接してみたいと思う。


理想を思い描くことは素敵だと思う。
理想を追い掛けることは大変である。
やがて理想に追い付いて、その正体を確かめた時、自分の信じていたものがもしそこに無かったら?
果たして耐えられるだろうか?


自分の思ってる事や考えてる事を文字に起こしたり、言葉として発したりすることが苦手だ。
口に出すことも、文字に残すことも、出来ればしたくない。
上手く表現出来ないもん。
表現一つだけで人は色んな意味を見出す。
人の数だけ解釈が広がっていく。
個人的にはそこが人間の面白い点だと思ってはいるが、同時に面倒くさい部分でもあると思う。

それでも今、こうやって頭の中のぐるぐる回ってる想いを何とかして文字として絞り出してるのは、どこかで誰かが私の思ってる事を見掛けたりして何かしらを感じて、それを聞いてみたいと思ったからなのか。

それにしても、読みにくい文章だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?