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報われなかった謙虚さ

幼稚園の頃の写真を見ると
周りの子達はドヤ顔でポーズを決めてるのに
私はうつむいて控えめに微笑んでいた。
小さい頃から控えめだった。

それは社会人になってからも同じだ。
よく色紙に『控えめだけど芯がある○○さん』と書かれていた。

ずっと〝謙虚〟さが大切と思っていたから
謙虚な態度を貫いた。

人と出会うと、その人の背景や
どんな人生を歩んで来たのかすごく気になる。
自分と異なる経験をしている、それだけでその人から学ぶべきことがあると思う。
その人が見た私の知らない世界があって
自分と違う視点がある、そこが尊敬に値すると思うから、話を聞くことで触れてみたいと思う。

純粋に本気でそう思う。

だから、成長して海外に興味を持ち
海外で働いたのも必然であったように思う。


例えば新しい職場に入って
新しい同僚と交流する中で、いつまでたっても
その人が自分に対して何も質問してこない時、本当に地味に疑問に思った。

そんなに私に興味がないのだろうか。
そんなことってあるだろうかと。

自分がそうだからといって、他人が同じということはありえないとわかっていても
世の中にはそんな人がたくさんいて驚く。

視野を広げることが自然なことじゃない人
変化しない自分が世界の中心の人
自分の価値観でひたすら対峙するだけの人


とにかく、以上のことから
必然的に私は謙虚になるのだ。
他人はいつも学びと尊敬の対象。
きれいごとでもなんでもなく
本気でそう思っている。


でも今、ふと思う。

私、
自分の話を全然聞いてもらってなかった。


自分を自分のために表現する。
HSPにとっても大切な機会を、謙虚さのせいで失ってきたのかもしれない。と

もちろん、謙虚さはどんなものとでも共生し
常に謙虚でありながら、自分を表現したり
誰かに影響を与えることは成立すると思う。

けれど
どうして、私は自分を失ってしまったのか。


それは、私の謙虚さは『姿勢』ではなく
生きづらさを軽減する為の
『態度(ポーズ)』だったから。

37歳になってそれがはっきりした。


離婚した後、アプリで出会った男性とよくお茶をした。
なぜなら、そういう人達はどんな思惑があるにしろ、必ず私の話を聞いてくれるから。
それが私にとっては癒しとなっていた。

きっと私はずっと欲していたのだ。
謙虚さの裏で

〝あなたはそんな世界を持っているんだ
 私はこんな世界を持っている
 いいね
 カッコいい
 面白い〟

という付き合いがしたいと。

これからどういう姿勢で生きていくかは考え中だけど、確実に謙虚さとの向き合い方を変えていくつもり。

謙虚は「態度」ではなく「姿勢」で表す。
絶対に謙虚さは手放さない。

なぜなら、自信満々で頼りがいがあり
自分の話を自然に話せる人にも憧れるけれど
昔の私のように、自信がなくて控えめで
毎日、世間の刺激に疲れて自力で復活して
でも、とっておきの話を胸に秘めてるような
謙虚な人が大好きだから。


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