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【第6回】エッセイ:平成の思い出(500字)

さまざまなジャンルの文章に、自分なりの赤ペンを入れていく企画です。マガジンの詳細については【はじめに】をお読みください。

第6回目のテーマは、こちら。

お題:平成の思い出(500字)

平成も残り15日となりました。平成元年のとき、私は9歳。もちろん記憶はありますし、小渕さんが新元号の「平成」を掲げる絵はよく覚えています。ただ、子供だったので、元号とは何なのかまでは、理解できていませんでした。

新聞や雑誌などのメディアは、一般的には西暦表記です。取材相手が和暦で話すことはよくありますし、ホームページの沿革などが和暦で書かれている会社も多いです。記事を書くときは、間違えないようにインターネットの変換表を見ながら西暦に直していきます。
正直、面倒だな、西暦で統一すればいいのにな……と思うことはよくあります。

でも、4月1日の新元号発表を経験して、和暦の良さというのも、実感できた気がしています。
会社員であれば、同僚や先輩たちと元号発表の瞬間に会話ができたりするけれど、フリーランスは一人です。
淋しがりの私は、この歴史的瞬間を一人で迎えたくない!と思って、同じくフリーランスの友達の家にお弁当を持って押し掛けました。

「万葉集だって!」
→本棚から万葉集が出てくる(ライターあるある)
「どこどこ? 巻五?」
「あった、ここだ!」と、友達とふたりで盛り上がったのでした。

「令和」という元号について語れるほどの知識は私にはありませんが、新しい元号が発表される瞬間は、とてもワクワクするものでした。

連日、メディアでは平成を振り返る番組や記事ばかりですが、せっかくの節目なので、赤ペン教室でも、平成を振り返ってみようと思います。

私がこの人の平成物語を読んでみたい!と思ったのは、平成4年生まれのKちゃんです。編集関係の仕事をしていて、note酒場で知り合ったかわゆい女の子です。とても素敵な文章が届きました。

15時に会社を早退して、羽田まで急いだ。フライトまで1時間半。よかった、本当に行けそうだ。

飛行機はずっと夕日を追いかけて、空がやっと暗くなった頃、沖縄についた。3月なのに夏のはじまりみたいな、すこしべたっとした空気。父の住む社宅へ向かう。ひとりなのに3LDK。15年間の、単身赴任。

「島に転勤になるからついてきて」そういって父は母と結婚した。母は会社をやめた。いつだったか「仕事しないと自己肯定感下がってつらくない?」と聞く私に、母は「えー誰かに褒めてもらえるほど、すごい人じゃないし。今日もおいしいごはん作れたなあってだけで、自分のことは認めてあげられるよ」といった。母は31年間、家を清潔で明るく、おいしいごはんがある場所に保った。他の人じゃできない仕事だった。父は40年弱仕事を続け、この春一番上まで登りつめた。3つ下の弟も家を出て、第一志望だった会社で働きはじめる。

何年かぶりの、しばらくは最後の、4人そろっての旅行だった。父の運転する車の後ろでうとうとしながら、娘というポジションに甘えた。2019年3月、家族の節目。卒業と出世と就職、平成元年に結婚した父と母の、平成最後の結婚記念日。

以下、この文章の感想です。

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