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ミスiDに応募した理由〜自分を曝け出してみる、の話。〜

改めて、こっそり、ミスiDに応募しています。

コロナで世界が変わって、"今までどおり"の愛するものたちが瞬く間に奪われていって、今にも壊れそうになりながらも、なんとか自分を見つめ直して前を向き始めていた時、5/31の明け方にミスiDに出会い、残り数時間で応募しました。


応募した理由は「晒け出せる」と思ったから。

この期間、「自分とは?」「やりたいことは?」「そのために何をすべきか?」を今まで以上に突き詰めていった結果、
出た答えのひとつが「怖がらずに曝け出す」でした。

それは表現の仕方についてでもあり、やりたいことをを思い切りやることでもあり、自分の物語についてでもあり。

多様性、個性が受け入れられる場所。
ここなら何か伝わるかも、曝け出せるかもと思い、前に進むために、応募しました。


ここでは3つ目の「自分の物語」について少し話します。


先に言っておくと、不幸自慢をするつもりはないです。

母親はたまに「あなたを不幸にした」なんて言うけれど、
私は今の自分が、これまでの生い立ちが好きだし、今、いろんなことがあるけど幸せだと思っている。

でも、全然満足してないし、今幸せだと思える理由は「やりたいことがある」「それに向かって動ける環境にある」からで、
その「やりたいこと」が叶わないと意味がない。


そしてこんなことを書くのは、私が今まで他の人の生い立ちや物語を聞いて、何度も勇気付けられてきたからだ。
似たもの同士(それはとても広義である)の誰かがどこかでこの文章を見つけてくれて、少しでも何かを感じてくれたらそれだけでも十分である。



グレーで中途半端な自分

私は田舎の恵まれた家庭で、たくさんの愛情を受けて育った。クラシックバレエやピアノを習い、休日にはバレエやミュージカル、宝塚などの地方公演を観たりした。
幼い頃の夢は"サウンドオブミュージック"のマリア先生、SMAPのメンバー、など。

父親は、少し変わった人だったが、私が彼がとても好きだった。

小学校5年生の時、父親がいなくなった。
鬱病が原因だった。当時の詳しいことはわからないし、きっと誰も悪くない。初めての「喪失」だった。

中学〜高校は、偶然入部した吹奏楽部活動に没頭した。全国大会でsoloも吹いた。音楽に没頭している間は現実と向き合わずに済んだ。
本来集団行動や人と関わるのが苦手な私に社会適合力を与えてくれたのも、この吹奏楽だ。

家族たちは私に辛い思いをさせないように精一杯を尽くしてくれていた。
それでも大変なことはあった。
一人の部屋でロックを聴きながら静かに泣いた。
年の離れた幼い弟には発達障害が見つかった(彼は今、折紙創作の天才である)。
なるべく家族に無理をさせないように、できることは自分でやった。

吹奏楽で生まれたアイデンティティのまま、音楽で大学に行こうとした。
挫折した。不条理だと思った。
まっさらな自由を求めて、一浪して上京、W大学に入った。

東京は想像以上に鮮やかで目まぐるしく、空っぽだった自分が少しずつ新しいものを吸収することで4年が過ぎ去った。
音楽、ライブ、美術や演劇や映画、いろんなものの入り口に出会った。

親に心配かけたくない思いと、背負った奨学金と、そもそもレールを外れる度胸も器もない自分は、真っ当に社会人になった。

だけど、

社会人になってから、年齢を重ねるごとに、本当の自分がどんどん大きくなり(原点回帰してるとも言えるか)
会社員を続けながらも音楽活動を始め、二重人格の30才、現在に至る。


今の私はグレーなのだ。

真っ当な社会人でありつつ、レールを外れたアーティストでもある。
だから自由だし不自由で、どちらもできてしまうから中途半端で、余裕があって時間がなくて。グレーな自分に嫌気がさす。

でも、

恵まれて育った身だけれど、苦境で育った身でもある。

障害や疾患の診断はされてないけれど、理解はできるし自分にも気配はある。

自分は女だけれど、男になりたいともよく思うし、性別とかどうでもよい。

現実に生きているけれど、フィクションみたいに生きたいと思っている。


たぶんいろんな面においてグレーで、AとBの中間地点にいて、
どっちにもなれないけど、どちらも理解しようとすることはできて、

だからこそ見えるものや作れるものがあると思う。


だからグレーであることは嫌いだけれど、面白くて好きだ。
そしてそれは自分の弱みでもあり、魅力でもあると思っている。


※どちらもできるなんて贅沢じゃないか、できなくて苦しんでるやつにどのツラ下げて、なんて言われそうだけれど。「それぞれにそれぞれの地獄がある」って言葉を今日見かけたけど、本当にその通りだと思う。宇垣アナあっぱれ。



いつか終わるかもしれない

こんな風に色々なものを抱えながら、東京に出て、ずっとここにいて、各所にきっと迷惑をかけながらも勝手に好きなことをやらせてもらっている。

だから「私はこれをやっている」と、自分の生き方を、アウトプットした作品と一緒に堂々と胸張って示せるようにならないといけないし、それが恩返しだと思っている。
(そもそも「私はこれをやって生きている!」と堂々と言えるようになることが昔からの夢だったりもする。情熱大陸に出れる、みたいな。)

でも何かのバランスが少しでも崩れたら、今みたいに100%勝手でいることはできなくなるかもしれない。

それに  "人は簡単には死ねないけど突然死んでしまう" が、私の実体験からの教訓だ。

だから、いつ終わってもいいように(と言っても簡単には終われないし終わってはくれないから)、今できることを全てやって、やりたいように生きなきゃと思っている。

ためらうことはもうやめようと思うのだ。



内面から滲み出るものを信じている

私はアイドルになりたいわけじゃないし、別に承認欲求もそんなにないし、「なぜミスiDに?」と思われるかもしれない。

そして正直審査開始から、タイムラインにはキメキメの自撮りがずらり並び、慣れない私はちょっと滅入った時もあった。ここには並べないし勝てねえよ、と。
なんだこの世界、とも思った。

でも、それはそれぞれの女の子の全力の自己表現なのであって、それぞれに物語があって、なりたいものがあって。だんだん素敵に見えてきて、受け入られるようにもなった。

そして私はそこには並ばず、予定通り自分らしく曝け出すことにしていこうと思った。

そもそも応募した理由は、よくあるいろんなバイアスを全て取っ払って、内面をちゃんと見てくれそうな企画だと思ったから。

年齢で制限するとか、ファンの数とか、曲の冒頭数秒だけで判断するとか、そういう世界じゃなさそうとだと思ったから。


私は自分が紡ぐ歌詞や言葉、歌うときの表現、作ろうとする世界、
それだけでなく、日頃生きてる中での一挙一動や言動、表情には、今までの生き様やそこから生まれる思想が滲み出ると思っている。

そしてそれは、きっと美しさや魅力に繋がると信じている。

だから私の今までの生き様は、武器であると思っている。


誇張せずに、無理に飾らずに、私はありのままを曝け出す

でも、表現を生業にする以上、より魅力的に、自分をしっかり曝け出すための努力はこれからどんどん重ねていきたい。もう漠然としたプランはある。


これをきっかけに、自分の表現の幅や深みも増していきたい。



ここまで読んでくれてたあなたへ

すっかり長くなってしまった…自己満な自分語りを、ここまで読んでくれたあなた、本当にありがとう。

自分の世界は自分で守らなきゃいけないし、自分で作るしかないのだよ。

でもたぶん、私だけが特別では全然なくて、もっとパンチのある物語を持っている人もたくさんいるだろうし、

「私は普通だ」と思うあなたにも、今は誰しもがきっと生きづらさや苦しさを抱えている時代だし、ぞれぞれの自分だけの物語があると思う。

きっとそれを人生って呼ぶのだと思う。

(いつも元気で明るく見える人が、実は暗い物語を隠し持っていたり、人は見かけではわからないものだし。最近この世の中に最も足りないと感じているもの、それは「想像力」だ。私は想像力おばけになって、みんなにそれを感染させたい)


肩書きがどうとか関係なく、なんだか生きづらい人、「普通」とはちょっと違った人。
そこに光を指す存在になりたい。


そして、人生は自由なんだな、なりたいものになれて、自分の手で変えられるんだって少しでも思ってほしいし、
それを体現したいし、何よりそれを自分自身で感じたい。
だから、今を生きてる。


って、何者かになれた時に、言い放ちたいよね。

とりあえず、これをきっかけに少しでも前に進みたいです。



とりとめない感じになってしまいましたが、私の曝け出しと、ミスiDに対する想いは以上。


言葉はいつも不完全だけど、今の想いを少しでも残しておければと。


それではまた、どこかで会える日まで。

2020.7.19   マリエ映茉


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