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わたしのじぃちゃん

おはようございます。
クレイセラピストMaricoです。

朝から強い日差しが差し込み、
今日は暑くなりそうです。

夏が好きなわたしは、
このくらいの時期が一番ワクワクします。
実際、夏も好きですが、
暑くてすぐへばる人なので、
実は真夏より、

「夏が来るぞーーーーー!」

という今の季節が一番好きなんですよね。

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わたしのじぃちゃん


どんなタイトル!?
とお思いですよね。笑

なぜか、この2日ほど、
実祖父のことを思い出していました。

実祖父は実祖父でも母方のじぃちゃん。

わたしが常に行き当たりばったりなのも
変わってると言われるのも
突拍子もないことをいうのも
縛られたくない自由人なのも
偏屈なのも←自認。

母方のじぃちゃんにそっくりなのです。

わたしのじぃちゃんは、
茨城県の小さな村に住んでいました。
(10年以上前に他界しています。)

今は合併などして町として
拡大されたので、
人口も増えましたが、
わたしが幼少の頃は、
2,000人いたかいないか?
とても小さな村なので、
どこどこの誰々とだいたいツーツー。

田舎あるある。

その村でわたしのじぃちゃんは、「変人」

扱いされていました。笑
(変態じゃないよ、変人です。)

要するに変わり者として有名で、
何をするにも良くも悪くも目立つ人でした。

ただ、変人と言っても
奇行とか犯すとかではなく、

いつも何をやっている人なのかわからない。

誰もやらないことを
気づいたらやっていて、
時には村から反対を受けたり。
(田んぼの一角を衛生センターに土地を提供したり)
所有していた山を
記念墓地に提供したり。
(売ったのか関わっていたのかは未確認)

ま、とにかく、実の娘である母や
一般的な大人たちですら
理解が行き届かない行動を起こす人でした。

だって、気づいたら、
田んぼのど真ん中にコンクリートの
建物を建ててるんですよ。笑

さらに肉牛の仕事も自宅敷地内で
やっていましたね。
繁殖も肥育もどちらも行っていたと思います。
牛の出産も何度も見たことがあります。

わたしはじぃちゃん家に行くと
長靴履いて臭い牛舎(笑)で、
一緒に飼育を手伝って、
干し草を運んだりしていた子供だったので、
名前を付けたりしていました。

大きく育てて、巣立つ瞬間を見て、
リアル「ドナドナ」を経験しました。
(仔牛じゃないけど。)

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ちゃんと理解できてなかったけど、
その時の経験が細胞に刻まれているのでしょう。

実は今も牛肉はあまり好んで食べません。
潜在意識に刻まれているんだと思います。

挙げたらキリがない
変人じぃちゃんですが、

そんな変人じぃちゃんの周りには、
いつもたくさんの人が集まっていて、
全然知らないおじちゃんとかが
お年玉くれたりしてました。
親戚でもなんでもないのに。

なのでお年玉の総額はすごかったです。笑

お葬式の時も昔ながらの自宅での
葬儀だったので、
花輪がどこまでも並んでいたのを
鮮明に覚えています。
身内は大変だったでしょうね、お葬式自体。
もう一大イベントですよ、イベント。

とまぁ、これだけ挙げても、
なかなかぶっ飛んだじぃちゃんだったのですが、
わたしはそんなじぃちゃんが大好きでした。

初孫だったわたし

とても可愛がってくれたし、
口は悪いけど、
とても優しくて、豪快だけど、
物静かな部分もあり、
嗜好品はタバコだけ。
(夏には小さな村の商店の花火を買い上げるとか普通w)

器用で、料理もDIY的な事も
なんでもできる人。
イクメンの走りじゃね?と思います。笑

村の政治に関わっていたり、
後援会のなんかに関わっていたり、
もう未だにじぃちゃんは一体、
何者だったのか?
亡くなった今は話を聞くことは
できないので、今度母親に聞いてみようと思います。

きっと、わたしのルーツはそこに。

わたしが大人になって、
こうやって自営をしているのも、
じぃちゃんのDNAが影響していると思います。

不思議な商売しているじぃちゃんを
間近で見ていて、
面白い人生だなぁと思っていたから。

サラリーマン勤め上げた父親に尊敬の意はあるけど、
わたしが目指した姿はじぃちゃんのような自由人。

そして、じぃちゃんが亡くなって、
しばらくした頃、
都内に住んでいたわたしの元に
母親から連絡が入り、
孫たちにも財産分与があるとの事。
遺言書がちゃんとあったみたいです。
遺産を残してくれていました。

その時も今も思っているのが、
じぃちゃんは、大盤振る舞いするし、
トラクターとか軽トラとか、
じゃんじゃん買ってきちゃう
散財マンだったけれど、
畜産やりながら畑も田んぼもやっていたし、
とにかく働きものだったなということ。

自分は全く贅沢なんてしないし、
いつも着ている服は農作業ものだし、
(子供の頃は汚いな〜と思っていたほど。笑)
スーツなんて冠婚葬祭でしか
見たことない。

でも、自分が死んだ後のことも考え、
資産を残して逝ったんだとわかりました。

田舎の土地は余っていても
売るに売れない時代になるし、
大家族から核家族、
母の弟である叔父の長男は晩婚で、
製造業のサラリーマンで、
じぃちゃんの手伝いはしてたけど、
農業だって肉牛の仕事だって、
継ぎはしない。
そんな時代じゃなくなると思っていたんでしょう。

倒れる前に、ちゃんとすべてを畳んでいました。

そして残していったのは、
資産となる、貯金や権利的な収入だったんだと思います。

わたしは何かの権利をもらったとかじゃないので、
その後の母方の実家の資産がどうなっているのかは
知る由もないし、興味もないのですが、
あの当時、じぃちゃんがそこまで先の未来を
見据えて行動していたかは今ではわかりませんが、
感覚的にできていた人だったのかもしれません。

現代に置き換えたら、
投資家とかになるのかも。

どんどん手がけたビジネスを大きくして、
M&A的に手放して、資産にしていく。

カッコよすぎる例えですが、
そんな感じだったんじゃないかな、と。

今、わたしも個人事業をしながら、
私利私欲を満たすためのお金稼ぎに興味がなく、
大好きなクレイを伝える仕事をしながら、
誰にも縛られることなく、
日々の時間を自分で決められる
今の暮らしに不満はありません。
(もちろん、良質のものは食べたいし、物欲だってゼロではありません。)

まだまだやりたいことがあるので、
あの頃のじぃちゃんのように
どんどん先の未来を見据えて、
決断と行動を重ねていきたいと思います。

わたしはお金の話をよくします。

それは生徒さんであっても、
ビジネス仲間であっても
友人であっても飲み友達であっても、
結構、アケスケです。

先日のnoteにも書きましたが、
わたしはお金が好きなんじゃなくて、
お金を稼いで循環させることが好き。

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お金を生み出せる人になりたくて、
独立もしたし、資産になるような
仕組みをちゃんと持って、
社会に循環を起こしていきたい。

ま、多少、楽はしたいから、
早めにリタイアするつもりですが、
じゃじゃ馬なのでおとなしくは
していられないでしょうね。笑

こうやってじぃちゃんのことを
書き出してみると、
女版だなと思うわけです。笑

長女であった母は、
そんな変人じぃちゃんを父に持って、
青春期はもしかしたら苦労もあったのかも。

時代が時代でもあったけど、
若くして結婚して、専業主婦。

サラリーマンの旦那を持ち、
安定が一番だと生きてきたはずなのに・・・

育てあげた子供、しかも娘(!)が、
まさかの実父の再来!!!!!

とはね。笑

しょうがない、輪廻転生。

とは言え、こんなに早いサイクルで、
じぃちゃんのミニチュア版が生まれてくるなんてね。😂

今、じぃちゃんが生きていたら、
一番気が合う人だったと思います。
でも物心つく前から、
その波長はぴったりだったんでしょうね。

今度、ゆっくり母に、
じぃちゃんの話を聞いてみよう。
お墓参りも行こう。

こんな話を最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。

今のわたしが変人なのも、
偏屈(笑)なのも、
血なので、致し方なく、
お付き合いくださると嬉しいです。笑


いつも最後まで読んでくださってありがとうございます。いただいたサポートは次のサポートの循環を生むこと、世界中の子供たちの笑顔のために循環させていただいております◡̈⃝︎⋆︎*