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占い的なものの役割

自分のSNSで弱音を吐いたり、体の不調について投稿したりすることがある。

そういう時に、親切に「こうすれば改善するよ?」と提案してくれる人がいる。

ありがたいし、その熱意が好きだ。
実際、主訴が解決することもある。

しかし、時にがっかりすることもある。
そして気づく。
私が欲しかったのは解決策ではなかったと。

ただ話を聞いて欲しい女性と、解決策を提示したい男性とのすれ違いの構図は
男女間だけで起こるものではない。


傷を舐め合うような共感が、人を停滞させることもあるけれど、共感がなければ進めないこともある。

私が投稿して訴えたかったのは、私がんばってます!!たぶんそれだけ(恥)


ところが私は、どちらかと言うとアドバイスしたいタイプ。
自分は男性的対応をしがちでも、人には女性的反応を求めてしまう(汗)

人からアドバイスをもらって違和感を感じた際に、自分が男性的対応をしてきたことにようやく気づく。(そしてまた忘れる)


タイトルに戻る。

人間関係において、弱音を吐くのは難しい(人もいる)。

思春期に差し掛かる私の娘は、友だちに相談していたつもりが、「愚痴ばっかり聞かされるこっちの気持ち考えたことある?」と言われたそうだ。

愚痴が癖になってしまうのは恐ろしいが、ネガティブ発言が多いと思われたくないと気にしすぎるうちに、思いが出口を失ってしまうことがある。

そういう思いは時間や経験が解決してくれることもあるが、溜まってしまえば、心身の害になる。


そういういう時が、占いとか、それに類するものの出番だと思っている。

普段の会話の中で、本当に話したいことに辿り着けない人でも、占い的な席につくと、親しくもない相手に「実は・・・」と話せてしまう不思議。それが、占いの力だと思う。

カウンセリング、タロット、カード、占星術、ヒーリング、その他諸々の「セッション」と呼ばれる対人サービスをしている人の中には、自分のやっていることは占いではない、と誇りを持っている方も見受けられる。

しかし私自身は、手段や名称がなんであれ、よりよい人生を送る一助とすることを目的としているので、そこに抵抗はない。

よくわからない人に伝わりやすいように、ここでは相談業全般を便宜上、大きく占い的なものと一括りにしていると理解して欲しい。

依存的だったり、心の弱い人が利用するようなイメージもあるだろうが、占い的なものが果たしている役割って結構大きいのではないかと思う。それが私が興味を持って学び続ける理由でもある。

日常に話し足りないものを抱えていたら、誰か気の合いそうな人の「セッション」を探してみるのもいいと思う。他ならぬご自分のために。

よかったら、話、聞かせてくださいね。








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