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2015.08.05 「好きな気持ち」と「感じる心」

校内合宿最終日。

朝。
裸足でボールコントロール。

午前。
ボールタッチ&ステップ。
アウトサイドターン。
パス&コントロール。
シャペウ。
1vs1。

午後。
フルコート11vs11。

MIO東近江、谷口中学の皆さん、ありがとうございました!




サッカーはテクニック。
テクニックとアイデアで創造的なプレーを。
遊び心で見る者を惹き付けろ。

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サッカーの正解とは何なのか。
中学年代までに何が必要なのか。
考えれば考えるほど、求めれば求めるほどに難しくなる。


が、「好きな気持ち」と「感じる心」さえあれば、人は変われるのでは?と思う今日この頃。




明光サッカースクール
毛塚さん blog

https://www.youtube.com/watch?v=JeYyx87NWrU#t=49

マラドーナ、ロナウジーニョ、メッシ、ネイマール、クリスチアーノ・ロナウド、
世界中の様々な素晴らしい選手を見てきた。
それでも常に変わる事の無い自分の中での " ドリブラーの基準 " は 彼だけ。
「Manoel Francisco dos Santos」
通称「Garrincha」「ガリンシャ」
ブラジルでドリブラーと言えば彼の名前が必ずあがる伝説の選手だ。
「1953年‐1965年」
19歳で、ブラジル、リオデジャネイロの名門ボタフォゴとプロ契約後
1965年まで228試合に出場し84得点を上げる。
相手を圧倒するドリブルで活躍し、
2年後の1955年にセレソンに招集される。
「1958年」
ワールドカップ スウェーデン大会でペレと共にブラジルを初優勝に導く。
「1962年」
チリ大会では、2戦目でペレが怪我で欠場を余儀なくされた後、
「ガリンシャ一人の力で優勝へ導いた」と言われる程の活躍を見せ、
ブラジルをワールドカップ2連覇へ導いた。
「1966年」
イングランド大会では、自身の膝の手術の影響もあったが招集される。
結果的には思うようにプレー出来ず、出場機会には恵まれなかった。
ガリンシャを欠いた代表はポルトガルに破れ、ワールドカップ3連覇を逃す。

ブラジルがサッカー王国である基礎をサッカーの神様ペレと共に築いた選手で、
その人柄から国民の多くから愛された。
小児麻痺の影響で左右の足の長さが異なっていた事は有名で、
それをハンデとしてではなく大きなプラスに変える力を持っていた。
ペレは語っている。
「ガリンシャが居なければ、私はワールドカップで3度優勝する事が出来なかった」と。

こうして改めて " ガリンシャのボールの持ち方 " 、" 仕掛け方 " を見ると、
自分が目指しているもの、やろうとしている事に間違いがないという確認が出来る。
" ボールを置く場所 "
" ボールの持ち方 "
そして、それらがあるから可能になる
" 仕掛け方 "
目の前で起きている世界最高のドリブラーのプレーから
何を感じ取れるだろうか?




3泊4日の校内合宿。
毎日8~9時間、ボールと向き合い、自分と戦い、仲間たちと交流した。
「みんなで協力し、何事も全力で取り組む」。
この言葉を胸に過ごした4日間、人間を変えるきっかけを掴めただろうか。

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自覚の出てきた3年生。
ちょっと心配な2年生。
ひたむきに走る1年生。

何を思い、どう動こうが、人生は続いていく。
暑さに負けるな。
自分に負けるな。
熱い夏は、まだまだこれから。
ともに頑張ろう!

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ボールで繋がる縁に感謝。
保護者の皆さん、交流していただいた方々、スペシャルゲストの皆さん、ありがとうございました。
サッカーの神様、いつもありがとうございます!!


熱病フットボーラー OMA

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