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忘れたくない、幸せを増やす方法

9月25日は誕生日だった。

少し時間がたってしまったけど、ささやかながら覚えていたい誕生日となったので書いておきたい。

突然だけど、私は「誕生日ドライ」なタイプだ。子供のころから何となく「お祝いしなければならない」と決められている感じがして苦手だった。「おめでとう!」と言われても、そういうもんだから言っているんじゃないか、とかひねくれたことを考えていた。誕生日に自宅に引きこもっていたら、「信じられない!」と愛情あふれる友達に怒られたこともあった。

さて、今年も例年通りやってきたわが誕生日。

前日、なんとなく、本当にただなんとなーくFacebookで目に入った、パン屋さんで朝ごはんを食べる会に参加したくなった。誕生日は、早起きをしてみたくなったのだ。

締め切り過ぎだったけど無理にお願いして、眠そうな相方をたたき起こし、午前7時過ぎに到着。お客さんは私たち以外に4人。開店前のパン屋さんで、温かいコーヒーやお茶と、キューバサンドという豚肉、チーズ、野菜をはさんだホットサンドを頂く。はじめてましての挨拶をしながら、トレイルランの話が盛り上がり、穏やかな時間が過ぎた。

1時間ほどかけてゆったりと朝食を楽しんだ後は、それぞれカバンを手に、それぞれの一日へ出かけていく。

短い時間だけど、すごく満たされた気持ちだった。

その夜、Facebookでつながったお客さんの一人が、「(朝の会で)今日が誕生日、入籍日、そして来月出産という夫婦と一緒だった。すごく幸せな一日の始まりだった」と投稿していた。その夫婦とは私と相方のことだった。ほかの参加者の方も、「幸せおすそ分けしてもらいました」と応えていた。

「幸せな気持ちになった」という言葉が、心の中にすんなり入ってきた。あぁ、幸せは巡るものなのか、と新鮮に感じた。

はじめまして、の後に短い時間をともにしただけ。それだけの関係なのに、相手の人生に起きた喜びを一緒に喜び、自分の一日の彩りとして味わえる。そのうれしい交換は、私にとって「おめでとう」よりもうれしい贈り物となった。

何年か前、友達がシェアしていた女性ライターの記事で、寝る前に一日3つのことを書き出す習慣について読んだことがある。1つ目はその日の反省、2つ目はその日あったうれしかったこと、3つ目は翌日の目標。この順番がポイントということだった。

その筆者はこの習慣を続けてみて、うれしかったことを書くのが一番難しかったらしいけど、ある日何気ない日常の風景を見ていてしあわせな気持ちがあふれてきた、ということだった。うれしかったことを思い出して、覚えていおいて、口にすること、伝えること。それがどれだけ大切で、生きていくのに必要なことかを知らなかった、と書いていた。

私も記事が印象に残って、習慣を続けみたことがある。当時の私は、自分のことに精一杯で、いつも人と幸せを比べて、「よかったね!」と言われても褒められても全然素直に受け止められなかった。少しずつ、失敗も恥ずかしいことも受け止めながら、少しずつ、自分のうれしいこと、心地いいこと、大切なことを大事にしていいんだと思えて、人生の中心に置くことができるようになった。

いまの私は、みんながうらやむような成功もしていないし、どっちかというとお金もないし、キラキラしたインスタ映えな生活は皆無だし、ただささやかな日常を生きているだけなんだけど、うれしいと思う瞬間は圧倒的に増えたと思う。

そんな中、39回目の誕生日は、幸せは受け取って感じることで、巡るんだ、ということを知った。

どこかで誰かにとって幸せな出来事があること。自分と直接関係はなくても、この町のどこか、世界のどこかで笑顔が一つ増えること。それは自分にとっても、なんとなくいいことなのだ。

まだまだ自分の幸せにしがみついて、自己中心になってしまうことも多々あるけど、ほかの人の幸せを一緒に喜び、また別の人に渡したり、そんな循環の中にいられたらいいなぁとなんとなく思った。

誕生日、ありがとう。




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