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背伸びした世界を望んでいるのか

雨予報はどこに行ってしまったのだろう、夏空の朝。たまには外に出ることもある。
めっきり履く機会の減ったパンプスで階段を昇る。駅に到着する頃にはすでに汗だくになり、すっかりメイクも崩れて悲しくなる。帰る時にはファンデーションを新調しようと心に決めた。

最近、ドラマ『俺の話は長い』が再放送されていた。
大好きな安田さんが出ていたのに、日曜の夜に放送されていた時には1話で観るのをやめてしまった。明日からの仕事を思い出す憂鬱な日曜の夜に、屁理屈を聞くのがしんどくなった。
贅沢な環境で、屁理屈で逃げるんじゃない、なんて偉そうに思っていたところもあったし、その反面、ニートでも生きていけるならいいじゃないか、と僻みに近い何かを感じていた記憶がある。

お昼に観ると、まるで印象が違っていたのが不思議だった。もしかしたら変わったのは私かもしれないけれど。
近い年代で屁理屈をこねたくなる気持ちも、うまく現実から逃れたい気持ちも、「今がいいわけじゃない」と部屋の天井を見上げながら思うリアルな心情も。
(とはいえ、生きていける素質はたくさん持っているし、周りの環境もあたたかい。前向きな最終回で、やっぱりうらやましいな、というのが正直なところ。)

日常にはつっこみどころがたくさんあるし、どこまで割り切って生きていけるのだろう、とよく考えている。



それにしても、考えすぎは良くない。転職活動でよくある質問「前職はどんな会社でどんなことをしていましたか」にさえ違和感を覚えたのには自分でも驚いた。
「こちらは御社の業務内容や事業のこと、調べられるだけ調べて想定をしてきているのに、どうしてそちらは企業のHPをちらっとでも見たりしないのですか?いくら採用する立場とはいえ、送付した書類を見てそれを見て面接に呼ぶ判断をされたはずでは??逆にどこがひっかかったのですか??」なんて。
相手が分かりやすいような説明が適切にできるか否か、が裏側で聞きたいことだという可能性もあるけれど、だとしたらそれは別の設問でもよくないですか……。

これは極端な話だし、『俺の話は長い』の屁理屈とは性質が違う気がしているけど、とにかく生きづらい、のだ。最近、特に。



会社勤めをしていたときには、多分気づかなかったんだと思う。それなりに環境に適応することが”当たり前”だったし、世間のいろんなことが普通だと思っていた。
在宅勤務がメインになってからは多少なりともストレスはあれど、多分私には合っていた。不意に話しかけられることもなければ、仕事中の自分を直接見られることもない。
その感覚を知ってしまった今、「苦手」「嫌だ」センサーがよりちょっとしたことで敏感に反応する様になっている(気がしてる)。

役所や病院などで顕著に感じる雑多な空気。片方の窓口では職員と客が話をし、待合室では私語をしている人がいる、さらに奥では電話対応や職員同士の相談する声が混ざり合う空間。長時間待たされていると意識を手放しそうになる。
駅まで暑い中歩いて汗だくになりながら満員電車に乗り、ペースの合わない会話をただ耐える。どうしたってかみ合わないことには出会うのに「もっとうまく振舞えたのではないか」と、不意に自己嫌悪に陥ってしまうのが何よりも嫌なのだけど。

これまでは「やりたいこと」「好きなこと」を考える機会が多かった。
その方が楽しいし、わくわくしていた。それに、背伸びをした方がいつだってかっこいいと思っていた。でも、ネガティブで生きるのがすぐにしんどくなってしまう私は、マイナスを減らす方が優先かもしれない。家に帰ってパンプスを脱ぐと、つまさきが解放されて地についたかかとまでじんわりと血が巡った。

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