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満面の笑み


微笑みって素敵ですよね。笑顔の人を見て、こちらも思わずにっこりしたりして。 笑顔は伝染しますね。

わたしが小学校のどのくらいのときだったか、学校に行く途中でした。当時生まれた鎌倉に住んでいて、広いコンクリートの道でなく、崖の下の小径を一人で朝、学校へ向かって歩いているときでした。これからは笑顔で行こうって、、、、今思うと決めたんですね。小学生がそんなこと決めたんです。普通ならそんなこと、小学生が考えないと思うんですけれど。それまで笑顔のない生活をしていたから、そんなこと考えたんでしょうね。今はもう両親は他界し、その両親の人並みでなかった人生にただただ、威厳さえ感じるわたしですが、そりゃ小学生には辛い日々でした。



さて、笑顔には二つ種類あるそうです。

一つは作り笑いの笑顔。苦笑いだったり。

もう一つは心からの笑顔。満面の微笑み。「顔全体で笑顔を表現していることで、また心から嬉しい状態を表現している様子。」英語だと「Big smile」詩的にいうと「喜びに溢れた笑顔」「溢れんばかりの笑顔」

そしてこの二つの違いは心の動きの違いから、顔の筋肉の動きに違いが出るそうです。


微笑みといえば「拈華微笑」(ねんげ みしょう)という四字熟語があります。意味は「言葉を使わないで、心から心へ伝えること。」

お釈迦さまの悟った真理は、簡単に言葉で説明し尽くせないという事を伝える為の禅の言葉だそうです。こんな物語が伝えられています。「あるとき、お釈迦さまの説法の日、いつものように何かお説きにならず、信者さんが供えた金波羅華(?)(こんぱらげ)の花を1本つまみ(拈)とって、それを黙って、信者さんの前に差し出しました。信者さんたちは意味がわからないので黙ってしーんとしていました。迦葉(かしょう)という弟子だけが、にっこり微笑まれました。するとお釈迦様は「私の体得している真理と悟りの心、今、迦葉に伝える」と言われたそうです。(迦葉=マハー・カッサパ)

この迦葉の微笑みは満面の笑みだったに違いないでしょう。信者さんたちは彼の微笑みを見て、きっと意味はわからなくても心が和らいだのではないでしょうか。


私の母方は禅宗の曹洞宗です。父方は江戸初期からの日蓮宗。生まれた育った鎌倉は禅宗の臨済宗で有名です。それぞれ深く学ぶことはなかったけれど、なんとなくその仏さまの心は私の中に生きています。


ということで、にっこりの笑顔の生活を心掛けている私です。


これから、お盆の法要のため菩提寺へ、お墓参りへ、参ります。

にっこり笑顔で ご先祖さまに感謝です。お墓を10代も守って下さる菩提寺と代々の住職にも感謝ですね。








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