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みんながゼロイチに恋してるみたいだけれども、本人曰く全然、良くない。

ここ半月ほど、他の人と新しい事業の話をする機会が多くて、その殆どの人が「ゼロイチの仕事は楽しいよね」と言ってくれる。そして、自分もゼロイチが好きなんだよねって伝えてくれる。
そのたびに私は「いいなぁ・・・」って、彼らを羨ましく思うんだけれど、会話のキャッチボールの中ではこの気持ちを上手く伝えられないどころか、自慢の如く受け取られそうな気がして沈黙してしまう。だから今まであまり表に出してこなかったけれど、今日は【ゼロイチ、実はダメ人間説】について書いていこうと思う。


分かりやすい例として私自身のことを列挙すると、絵を描いて、書を書いて、イラストやマンガを描いて。油絵を描いて、詩を書いて、歌詞を書くようになり、シナリオや小説も書く。そんな風に幼少期から20代を生きた。
これらは真っ白な紙の上に何かを生み出すゼロイチだと思う。そして下手の横好きだったのかと言えば、私の場合、なんだかんだと賞を貰ったり段が取れたり、何かに採用してもらったりして来たわけなんだけど。

正直に白状すると、私はココで気が済んでしまう。頑張っているようで実は好き勝手に次のことを始めている。だから、自分の好きなことを仕事に出来ていない。

「ゼロイチの仕事が好き」と言える人たちは、ゼロイチじゃないコトもできるから比較して好き嫌いを述べられるわけで。私のようにそれ以外のコトが出来ない人間は、イチのあとどうしたらいいんだろうって本気で途方に暮れるんだけど、その荒涼とした無力感ときたらもう。

確かにこの頭の特性を使うと新しい事業は思いつく。小さいモノなら毎日のように。大げさではなく湯水のように。所謂「Just an Idea」思い付きレベルのことくらいなら垂れ流し状態。
しかも、ビジネス上のゼロをイチやサンくらいまでにするのは、さほど難しいコトではないと思う。なぜならビジネスの上では、絶対的な正解・目指すゴールの設定幅はいつだって非常に狭い。商社は儲けることが正義で、その有形無形の利益を誰にどう分配するかが理念になるわけで。ここに絶対的なゴールがある以上、選択できるルートにも・・・。表裏斜めあれど、やっぱり限りがある。何を選ぶかはゼロイチではなくて、好みやセンスや状況判断でしかない。

でもね。クリエイティヴ系のさすらい感、どこにもつかまれず、寄り掛かる壁もない不確かさに比べたら、明確なゴールと狭い選択肢、確かな道程があると思えるビジネスの世界であっても、本当の『ただのゼロイチ脳』の人間には絶望的な壁がある。
うん。・・・イチをサン弱ぐらいまで膨らませるのが精一杯なのである。
実行する段階になると一気にお手上げ。サン弱からあと、ジュウまでにはまだまだ長い道のりがあるというのに、サン弱。サンの手前で限界が来るのである。

これを油絵でいうなら、構図を決めて描き終えて、その絵に似合う額縁を選んで展覧会で佳作ぐらいもらえた。そしてその後、青色吐息でヨロヨロと自宅の壁に掛けてしまう感じ。画家として生きていくならここからが大事でしょ。画壇に認めてもらって個展ができるようになるまで描き続けて・・・とか。そういう日々に突入せねばなるまいよ。
小説でいうなら、ちゃんと伏線も回収してけっこうしっかり書けて、懸賞に出したら引っかかった。けれど。なんか選ばれた。そこで力尽きて気が済んで次はマンガやシナリオを描き始めてしまう。
要は私の場合、ただのゼロイチ・エピキュリアン(快楽主義者)。何も成し遂げられない。継続力がなさすぎる。



「いやいや、やらないだけでやれば出来るんでしょ」って。
私がこれを正直に説明すると相手はみんな、示し合わせたかのように言うんだけれど。


・・・・出来ないよ。


私の中では、私ってこの画像のようなもの。

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脳みそしかないので・・・・。
思いつくんですけど実行も継続も無理です・・・。


それでも生きていかねばならないので
【ゼロイチ】こんなこと思いついた。
【イチサン】仕事のフレーム、大雑把な全体像はこんなかんじ。
と、誰かに言ってみる。

運よくその誰かが「じゃあ、やってみる」と実行に着手し、継続的な努力をし、上手に「どう思う?」と私から次のアイデアを引っ張り出すなんてことをしてくれると、その誰かは大抵の場合、ちゃんと成功ルートに乗っていくので、私にも多少なり生活の糧になるような何某かが降ってくる。
ねぇ、だって。アートに比べたらビジネスで選べるルートは少なくて。だから私には「こっち」とナビゲートするのは難しくない。自分がしなくてもいい努力なら「そっち」といくらでも言い放てる。いろんな【率】を天秤に乗せるけれども、労力は顧みない。そんな無責任さがアリならば、成功ルートを描くだけなら簡単だ。

そしてこれらが結果を出した時に、みんな勘違いして、私のこと褒めてくれるんだけど、実際にすごいのは私じゃなくて頑張り続けたヒト。
私はたった三日であっても継続するコトができない一日坊主だけれど、継続できる人は延々とやり続ける。成功は継続についてくる。普通は。


ね。私の周りの人は「あなたには右腕が必要」って言うけれど、そうじゃない。ちがう、私に必要なのは・・・。なんていうかこう・・・。何かが必要と言うよりはむしろ、私にはほとんど何も足りてない
最高に評価しても、アメディオぐらいの役割しかできないので、母を探して歩き続けるマルコがいないとどこにも行けない。なんだか最近、みんなが大好きな「ゼロイチ」って、その実態はこういう生き物で、周りに恵まれなかったらただの趣味人間・ダメ人間・怠け者と称される。

実際、私の両親はお前なんか生んでしまって大失敗、育て方間違ったロクデナシと、実に物心ついてからつい最近まで、私本人に向かって良く言い放っていた。たぶん、今もそう思ってるけど自分たちが80の声を聞き、さすがに娘の方が強いから言わないだけだと思う(爆笑)。世の中的には認めてもらえるようなナニカの結果を出してきたとしても、彼らが願ったであろう普通のお嬢さんらしい人生は全く歩んでいないので、実際、期待外れで申し訳のないことである。
(ちなみにこういうのでメンタル系の問題を抱えがちらしいのだけど、私の場合「おぉう、たしかに」とある意味、オールスルーで育ってしまった。そこからして欠陥なのかもしれないけど、これが私なのだから仕方がない)


このように、身内的には超ダメ人間でしかない私のような人生では、一番、尊い瞬間はおそらく「ゼロイチ、イチゴー、サンナナ、ゴージュウ」みたいに得意分野の違う人たちが集まったチームを得られた時なんである。それが無ければフワフワと、アイデアと夢物語ばかりで何も実を結ばない。

わかったか、ゼロイチのダメさ加減。
こんなものに憧れるぐらいなら「ワタシは0.5から8までいけるよ!」って、言ってくれた方がよほど頼もしいし、人として安定感がある。堂々と「イチ以降なら運びます」と言って欲しいし「ジュウになったものを転がし続けてニジュウに出来ます」と手を上げて欲しい。イチから動けぬダメ人間としては、本当に本当に心底、こんな人に名乗り出てきてほしいし、これぞ代えがたい才能だと思う。
しかも。チームが出来た時には、一人ではダメダメなゼロイチにも役割が与えられる。それで多少は自重できるようにもなり、人生のストッパーにすらなるのだ。

ホント、ゼロイチなんてロクなもんじゃない。
ゼロハチぐらいの人がもしいたら、そういう人はスーパースターだし、ゼロジュウがいるなら神でしかない。ああ、もしかしたらビル・ゲイツさんとかこれなのかな。知らんけど。でもジョブスさんはゼロイチ with 逸脱系だと思うな(苦笑)


というわけで、話をすーーーっごい最初に戻すと、新しい事業を思いついたのでアップを始めました。すでに0.5から8ぐらい、もしかしたらそのあとも運んでくれそうな人たちと出会えて、チームの芽生えも見えたので、今、ダメ人間は幸せです。今日も脳裏にぽんぽこ浮かぶアイデア諸々を汚泥の如く捨てながら。

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