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虹の橋を渡ったわんこ。

気持ちの整理のために書いていこうと思う。

出会い

2007年の5月に一人暮らしをしたきっかけで出会ったわんこ。

名前は「はく」千と千尋からとった。

けどいつの間にか「うめ」って呼ばれてたし呼んでた。「うめ」って顔してたから。

慣れない一人暮らし、1DKの小さい部屋。

ベッドにおしっこされて怒ったり、ミニチュアダックスの本を買って見様見真似でしつけをしたり。離乳食の臭さに絶句したり。夏祭りで浴衣を着せて屋台を見たり。

急性胃腸炎になったり、階段から落ちて大けがして、あっけなく実家に二人で戻った。その時はまだ、おじーちゃんもおばーちゃんも同居してて、すごく気まずかったのを覚えてる。

引っ越し

それからすぐにおじーちゃんとおばーちゃんは別荘の方に移住するようになって、私とママとうめと、3人でマンションに引っ越した。

多摩川沿いの、4LDKのマンション。お散歩は河原の土手がお気に入りで、お散歩終わりにマンション下の遊具のベンチで川を眺めたり、寒い日は床暖房の効いたリビングでお昼寝したりした。

家出してきた友達が1年近く住んでた時もすぐに家族として受け入れ、誰に対しても人なつっこく、お散歩で他のわんこに会っても、わんこではなく人間にすり寄る人間が大好きなわんこだった。

そしてまた引っ越し

犬にとって、引っ越しというものはストレスになるから心配してたけど、肝が据わってるのか、鈍いのか、賢いのか、達観してるわんこだった。

「もう引っ越しはしないからね」っていうと、私の部屋を決めた後、その隣の部屋とママの部屋を移住地に決めてた。

お気に入りのライオンのぬいぐるみ。何個も買い替えた。いつしかその商品は廃盤になってしまって、うさぎのぬいぐるみの「うどんちゃん」を愛用し始めた。なぜ「うどんちゃん」っていう名前かって、うさぎの耳、はじめは5㎜ぐらいだったのに、かみすぎて2㎝ぐらいになっちゃうぐらい大切にしてたうどんちゃん。

そんな中、突然、本当に突然私がロンドンに留学しなければいけなくなった。離れるのは寂しいけど、滅多に出来ない体験。「少しの間、ママをよろしくね」っていってロンドンに行った。ロンドンは犬がバスの座席に座る事があって、その犬にたいそう気に入られて、うめを思い出した。

うちのうめ、もっと上品なんだけどなぁ…

帰国の日。

玄関を開けるとしっぽがちぎれそうなぐらいぐるんぐるん回して出迎えてくれた。帰ってきてよかったって。思った。

それから少し、仕事もせずに、寝たいときに寝て、起きたらうめと遊んで、パンの取り合いっこして、かくれんぼして、うめとずっと一緒にいた。

多分これが一番うめと長くいた時間。

病気

最近食欲ないな、うんちゆるいなって思って病院に連れて行ったら、腎臓が弱ってることが発覚した。その日検査入院することになり、そのまま1週間ほど入院した。

うめが死んじゃうかもって考えた。受け止めたくなかった。でも絶対にそんなことあるはずないって、きっとまたいつもみたいに私の足をめっちゃ舐めてくるしつこいくらいに。自分に言い聞かせた。

先生のおかげもあり、退院後少し通院してすっかり良くなった。

そして代わりかのように、長い闘病生活を続けていたおじーちゃんが亡くなった。

おばーちゃん。

おじーちゃんが亡くなってから1年。おばーちゃんとまた同居することになった。うめは受け入れてくれるだろうか、おばーちゃんと仲良くできるだろうか、心配だったけど、全然大丈夫だった。本当人への適応能力抜群のわんこ。

おばーちゃんがきてからというものの、毎日おばーちゃんの話を横でずっと聞いてるうめ。疲れないのかな?ってたまに見に行くとめっちゃ寝てた。お相撲をよく一緒に見てたけど、うめは我関せずでうどんちゃんを噛んでた。

ママとおばーちゃんが喧嘩したときに潤滑剤の役目にもなっていたうめ。

きっと気苦労は絶えなかったのかもしれない。

2年後

私が家を出ることになった。

当たり前のように、実家に帰ったらまたしっぽ振り回してくれ迎えてくれると思ってた。

でも違った。


少し前から呼吸器がおかしい感じだったので、病院に連れていったら、心臓の病気ということが分かった。そしてそのまま2日ほど入院。

この事実、私は知らなかった。

パートナーの実家に挨拶しに行き、いろいろあって、落ち込んでたから言わなかったらしい。言ったらそのまま実家に帰ってきちゃいそうだから、内緒にしてたらしい。

そしてお盆休みに入って、実家にパートナーと帰省した。

2021年8月9日

久しぶりに友人を招いての食事会。大切な友人にパートナーを紹介できた。
始めは様子見だったうめも、食事会が終わる頃にはパートナーに懐いていた。

そして次の日。8月10日。

ママが部屋に置くテレビを買いたいというので、ママとパートナーと3人で外出した。その日うめの呼吸の仕方が変だったから、病院に連れて行こうかと思ったけど休診日だった。
帰りに人間用のやつでいいから酸素ボンベを買おうなんて話しながら、
「じゃあいってくるね」ってうめに言った。
その20分後。おばーちゃんから着信
「うめちゃんが息をしてない」

頭の中真っ白になった。
とりあえず会計途中だったママを先に帰らせた。
会計が終わって走った。電車に乗ってたら自然と涙出てきた。
駅について、荷物をすべてパートナーに預け走った、泣きながら。
玄関を開けて、出迎えてくれるうめの姿はなく、
リビングに横たわっていた。タオルの上で。

なんで、嫌だ、うめ、嫌だやだやだやだ

生きてきてこんなに泣きじゃくったのは初めてだった。
しばらく声を上げながら泣いてうめを揺さぶって、鼻をさわって、
もう心臓が止まっていることを実感した。

みんなの泣いてる声だけが部屋に響いて、
駆けつけてきた従姉妹たちがきてまた泣いた
犬友達のおばあちゃんが来てまた泣いた

何匹も見送ってきた犬友達のおばあちゃんが
この後の手順を教えてくれた。
考えたくなかった。何も。
従姉妹もパートナーも変わりに探してくれた。

1日、このまま置くこともあるらしい、けど、
横たわってるうめをこれ以上見ていられなかった。
だんだん冷たく、硬くなっていくうめを、見てるとおかしくなりそうだった。

葬儀屋さんに電話して、
来るまでの間、泣き疲れて急な眠気に襲われた。

葬儀はちゃんと人間のように扱ってくれて、お清めや最後のお別れ、フラワーシャワーも本当に人間と同じ火葬だった。
うどんちゃんも一緒に入れた。大好きなおやつも入れた。


泣いてばかりで最期まで言えなかった言葉を言った。

「ありがとう」

骨になったうめ。
真っ白だった。
小さな骨壺に入れてくれて、ちゃんと説明もしてくれた。
その時に、少し骨を分けてもらった。
これからずっと一緒にいたいから。

皮肉なことに、うめが虹の橋を渡ったことで、私の周りにいるすべての人を
パートナーに紹介できた。

みんなが言った。
「この日を選んだんだよ」って。
本当なら、1週間前に亡くなっててもおかしくない状況だった。
でも、うめは頑張ってくれた。
これから私が一緒に歩んでいく人を今までお世話になった人に紹介する為に。

ペットロス

もっと先の話かと思っていた。
きっとまた実家に帰ったらしっぽを振り回して出迎えてくれると思ってた。
頭の整理がつかない、きっとこのまま帰っても何もできない。
もう1日実家にいることにした。
次の日、帰りの車でもずっと考えてた。

なんで一緒にいてあげられなかったんだろう、最期は一緒にいてあげたかった、独りにさせちゃった、ごめん、ごめんね。

家に帰っても目を閉じるたびに思い出しては泣いて、ただただ泣いた。
うめは本当に優しい子だったから、
私が泣いてる時はそっと近くで座って顔を舐めにくる。
ブロックすると隙間から必死に舐めようとして、最後に笑わせてくる。
でももういない。
わかってる、でも受け入れられない。
14年間ずっと一緒に育ってきたから、
一人っ子の私は初めてできた兄弟のように思ってたから、
心に穴が開くってこういうことを言うんだなって思った。

前へ。

帰るときに「家に飾って」って従姉妹が写真を現像してくれて写真たてにいれてくれた。
写真の前にお気に入りのおやつを置く。
(これじゃなんか味気ないな)って思って、ペット用の仏具を探す。
(お水好きだったもんね)って思ってお水入れも買った。

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少し、実感できた。
もう、うめはいないこと。でもきっとそばにはいる。
お水をお供えするときに心の中で「ありがとう」って呟いた。

それでもやっぱり私は前は向けず、毎日「死にたい」って言い続けた。
虚無。なにもしたくなかった。このまま消えたかった。
それを見ていたパートナーは、私を毎日のようにいろんな所に連れて行ってくれた。
わんこを見るだけで泣いてた私、でもいつの間にか10軒以上ペットショップ連れてってもらってた。
うめの夢をみた。しっぽを振っていた。

少しずつ、本当に少しずつだけど、
ちゃんと笑えるようになってきた。
家事もできるようになってきた。
ママがいった。「彼がいてくれて本当に良かった」

いつまでも、私が泣いてたらきっとうめは心配で成仏できない。
私を14年間支えてくれたうめ、
私の子守歌で寝ちゃううめ。おやつを隠すと必死で探すうめ。
いつまでもいつまでも、私の心の中にいてね。
そしてお空で見守っていてね。
つらいときは、少しだけ思い出させてね。
いままでありがとう、大好きだよ。ずっと、大好き。

少しだけ、前を向ける気がした。
私は、私のやることを全力で、前へ。

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