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認知症の母(89才)の 今の様子をお話しします

昨年は時々 母のことをライブでお話していましたが、最近はほとんど話題にしていませんでした。
すると、こんなことを聞いてくる方が…

「お母様は お元気ですか?」
「お母様、認知症 かなり進んでらっしゃるの?」
なかには、具体的な質問ワードを探せずに
「お母様は…?」
とだけ、おそるおそる聞いてくださる方も。

母は元気です。
久しぶりに、本日は 母の話です。
この機会に時間をさかのぼって、施設入居を決めた3年前のことからお話します。
ライブは コチラです

高齢者施設入居を決めるまで

母は、私の弟(=母の長男)と一緒に、四国の西のはずれにある小さな町に住んでいました。
父が1993年に亡くなり、その後、長男くんのお嫁さんが まだ幼い二人の娘を残して亡くなり、母は それから10年以上、長男くんと 孫二人の面倒を見ながら忙しく過ごしていたのですが、孫娘二人が 順番に高校を卒業して家を離れ、長男くん と 母の二人暮らしでした。

長男くんは、母に少しずつ違和感を感じ始めます。
おそらく 同じ時期に、母は自分に対して不安を感じ始めていたように思われます。
やがて、母が私に、頻繁に電話をかけてくるようになり、私もまた、母の様子に違和感を感じました。
そして、長男くんと私が話し合って、母の施設入居を考えるようになったのです。

母は、施設入居にはかなり抵抗しました。
最初は、自分が長男に見捨てられるような気持ちになったようです。
そして、住み慣れた家を離れることに対する不安は、私たちが想像するよりはるかに大きいようでした。
「思い出の詰まったこの場所に 今後も住み続けたい!」というよりは、知らない場所に移動することで 生じるに違いない変化を、極端に恐れる気持ちが強い。そんな印象を受けました。

最終的に入居を決めた施設は、私の家から徒歩5分の距離の場所ですが、
けっして最初から “この施設ありき” で話をしたわけではありません。
今までに住んでいた場所の近くに住むことができれば、それがベターなんです。ですが、人口の少ない地方では、施設の絶対数が少なく、選びようがありません。

そして、母に希望を聞くと、
「四国にはこだわらない。むしろ、孫たちも上京してしまったから、みんなが会いに来てくれやすい 首都圏の方がいい」
と言います。

そんな条件も踏まえたうえで、最終的に今の施設に決めました。

入居前後の大混乱

入居を決めてから 実際に入居するまでに、長男くんも私も、母とは ずいぶん話をしたつもりです。そして入居当日は、母は たいへん落ち着いて見えました。

これなら 大丈夫。
施設の体制は万全だし、今日から母は、落ち着いて安心して毎日を送れるだろう。
そのとき私はそう考えて、 一ミリの不安も抱きませんでした。

羽田空港で私と一緒に母を迎えて、車で施設まで送ってくれた次男君も、その日はほとんど不安を感じていなかったはずです。

ところが、その夜から、母の電話攻勢が始まりました。
私宛だけでなく、長男くんにも、次男君にも、さんざん電話したようです。
「〇〇で困っている」
「もう、ここでの用は済んだから、家に帰ろうと思う」
に始まり、
「ここは一日いくらかかるの? こんな贅沢な場所、お金がかかりすぎるはずだから、もう出ることにする」
などなど。
大混乱の連続です。当時は、この状態がずっと続くのだろうか…と、私たちの気持ちもふさいでしまいました。
私たちも 悩まされましたが、母は それだけ不安にさいなまれていたのでしょう。今なら そんな風に想像することもできます。

やがて、注文していた家具が入り、部屋が 母の生活の場らしくなると、母の混乱は徐々に治まってきました。
それでも 時々小さな混乱が発生し、やっと落ち着いた と思えたのは、入居して半年くらい経ってから。そして「もう大丈夫」と安心できたのは、入居から一年くらい経ってからでした。

大混乱の収束

混乱が収まると、認知症の症状も幾分改善したかのようにすら思われます。
もちろん 認知症がみるみる改善することは望めませんが、おそらく
 不安な気持ちがなくなって 言葉がしっかりしてきたのでしょう。
少しくらいの会話では、誰も、母が認知症であることには気づかないのではないでしょうか。
そんな状態のまま、間もなく 入居から丸3年になります。

あまり社交的ではない母ですが、お部屋を訪ね合うお友達もできたようです。
施設のお習字サークルに参加して、好きな書道を続けています。

認知症の進行具合は

では、母の認知症は 全く進行していないのか、というと、決してそうではありません。
少しずつではありますが、認知症はじわじわと進行しています。

元々は手紙を書くのが大好きだった母ですが、今では 私が再三促さないと はがきすら書こうとしません。
やっと書き始めても、宛名を書く場所、宛名、文字のひとつずつまで、いちいち私に確認しないと 書き続けられません。
書く文字も、以前よりも小さく、弱々しくしくなりました。

母の今とこれから

それでも 母は、身の回りのことはすべて 自分でできますし、毎朝のお化粧も欠かしません。
足もしっかりしています。
昨年末に89才になった人なら、これだけできれば上出来でしょうか。

母が施設に入居したのは、新型コロナウイルスの感染が広まり始めた頃でした。
それがようやく収まり始めた今、外に連れ出したいと思っています。
せっかく首都圏に住み始めたのだから、好きな歌舞伎にも 連れて行ってあげたい。
もちろん、好きなことを満喫してほしい という気持ちから そう思うのですが、それとは別に、お出かけや歌舞伎という刺激をきっかけに、少しでも認知症が改善するかもしれない、という期待も かすかにあります。

今年の終わりには90才になる母。まだまだ 人生を楽しんでほしいと思う、今日この頃です。



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