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認知症の母(89才)の 今の様子をお話しします
昨年は時々 母のことをライブでお話していましたが、最近はほとんど話題にしていませんでした。
すると、こんなことを聞いてくる方が…
「お母様は お元気ですか?」
「お母様、認知症 かなり進んでらっしゃるの?」
なかには、具体的な質問ワードを探せずに
「お母様は…?」
とだけ、おそるおそる聞いてくださる方も。
母は元気です。
久しぶりに、本日は 母の話です。
この機会に時間をさかのぼって、施設入居を決めた3年前のことからお話します。
ライブは コチラです
![](https://assets.st-note.com/img/1679722666445-LQoUrDLraz.png?width=1200)
高齢者施設入居を決めるまで
母は、私の弟(=母の長男)と一緒に、四国の西のはずれにある小さな町に住んでいました。
父が1993年に亡くなり、その後、長男くんのお嫁さんが まだ幼い二人の娘を残して亡くなり、母は それから10年以上、長男くんと 孫二人の面倒を見ながら忙しく過ごしていたのですが、孫娘二人が 順番に高校を卒業して家を離れ、長男くん と 母の二人暮らしでした。
長男くんは、母に少しずつ違和感を感じ始めます。
おそらく 同じ時期に、母は自分に対して不安を感じ始めていたように思われます。
やがて、母が私に、頻繁に電話をかけてくるようになり、私もまた、母の様子に違和感を感じました。
そして、長男くんと私が話し合って、母の施設入居を考えるようになったのです。
母は、施設入居にはかなり抵抗しました。
最初は、自分が長男に見捨てられるような気持ちになったようです。
そして、住み慣れた家を離れることに対する不安は、私たちが想像するよりはるかに大きいようでした。
「思い出の詰まったこの場所に 今後も住み続けたい!」というよりは、知らない場所に移動することで 生じるに違いない変化を、極端に恐れる気持ちが強い。そんな印象を受けました。
最終的に入居を決めた施設は、私の家から徒歩5分の距離の場所ですが、
けっして最初から “この施設ありき” で話をしたわけではありません。
今までに住んでいた場所の近くに住むことができれば、それがベターなんです。ですが、人口の少ない地方では、施設の絶対数が少なく、選びようがありません。
そして、母に希望を聞くと、
「四国にはこだわらない。むしろ、孫たちも上京してしまったから、みんなが会いに来てくれやすい 首都圏の方がいい」
と言います。
そんな条件も踏まえたうえで、最終的に今の施設に決めました。
入居前後の大混乱
入居を決めてから 実際に入居するまでに、長男くんも私も、母とは ずいぶん話をしたつもりです。そして入居当日は、母は たいへん落ち着いて見えました。
これなら 大丈夫。
施設の体制は万全だし、今日から母は、落ち着いて安心して毎日を送れるだろう。
そのとき私はそう考えて、 一ミリの不安も抱きませんでした。
羽田空港で私と一緒に母を迎えて、車で施設まで送ってくれた次男君も、その日はほとんど不安を感じていなかったはずです。
ところが、その夜から、母の電話攻勢が始まりました。
私宛だけでなく、長男くんにも、次男君にも、さんざん電話したようです。
「〇〇で困っている」
「もう、ここでの用は済んだから、家に帰ろうと思う」
に始まり、
「ここは一日いくらかかるの? こんな贅沢な場所、お金がかかりすぎるはずだから、もう出ることにする」
などなど。
大混乱の連続です。当時は、この状態がずっと続くのだろうか…と、私たちの気持ちもふさいでしまいました。
私たちも 悩まされましたが、母は それだけ不安にさいなまれていたのでしょう。今なら そんな風に想像することもできます。
やがて、注文していた家具が入り、部屋が 母の生活の場らしくなると、母の混乱は徐々に治まってきました。
それでも 時々小さな混乱が発生し、やっと落ち着いた と思えたのは、入居して半年くらい経ってから。そして「もう大丈夫」と安心できたのは、入居から一年くらい経ってからでした。
大混乱の収束
混乱が収まると、認知症の症状も幾分改善したかのようにすら思われます。
もちろん 認知症がみるみる改善することは望めませんが、おそらく
不安な気持ちがなくなって 言葉がしっかりしてきたのでしょう。
少しくらいの会話では、誰も、母が認知症であることには気づかないのではないでしょうか。
そんな状態のまま、間もなく 入居から丸3年になります。
あまり社交的ではない母ですが、お部屋を訪ね合うお友達もできたようです。
施設のお習字サークルに参加して、好きな書道を続けています。
認知症の進行具合は
では、母の認知症は 全く進行していないのか、というと、決してそうではありません。
少しずつではありますが、認知症はじわじわと進行しています。
元々は手紙を書くのが大好きだった母ですが、今では 私が再三促さないと はがきすら書こうとしません。
やっと書き始めても、宛名を書く場所、宛名、文字のひとつずつまで、いちいち私に確認しないと 書き続けられません。
書く文字も、以前よりも小さく、弱々しくしくなりました。
![](https://assets.st-note.com/img/1679723177434-5pA2mCLRIp.png?width=1200)
母の今とこれから
それでも 母は、身の回りのことはすべて 自分でできますし、毎朝のお化粧も欠かしません。
足もしっかりしています。
昨年末に89才になった人なら、これだけできれば上出来でしょうか。
母が施設に入居したのは、新型コロナウイルスの感染が広まり始めた頃でした。
それがようやく収まり始めた今、外に連れ出したいと思っています。
せっかく首都圏に住み始めたのだから、好きな歌舞伎にも 連れて行ってあげたい。
もちろん、好きなことを満喫してほしい という気持ちから そう思うのですが、それとは別に、お出かけや歌舞伎という刺激をきっかけに、少しでも認知症が改善するかもしれない、という期待も かすかにあります。
今年の終わりには90才になる母。まだまだ 人生を楽しんでほしいと思う、今日この頃です。
![](https://assets.st-note.com/img/1679723408874-yixobkOKA7.jpg?width=1200)
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